一瞬一瞬にすると無限の時間になります。


 2010年もあと1日になりました。

「今日のこの日を、私は心からの愛を持って生きる!」
「そして、私はすべてのものを愛の心をもって見守る!」

 2010年の暮れも押し迫ってくると、2010年は二度と巡っては
来ないのですから、1日が大切になってきます。

「私は、今日が人生最後の日であると心得て生きる!」

 自分の人生が、あと一日しかないと思ったら、今の時間を
どんなにか、大切にすることでしょう。

「私は、今、ただちに行動する!」
「いつでも私は今の瞬間に全力で生きる!」
 
 今年は、まだまだ1日=24時間以上あります。一瞬一瞬に
すると無限の時間になります。

 大切にしてくださいね。
 
 さて、20世紀を代表する禅の思想家であり哲学者の西田幾多郎
氏のことが、道新の卓上四季に掲載されていました。

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 年暮れに(12月30日)

「善の研究」で知られる哲学者の西田幾多郎(1870~1945年)は、
多くの短歌や俳句を残している。それは学者の余技の域を超える
量と深さを持っていた。

 特に50歳からあとの歌には、<己の生を精いっぱい生きるため
には、こう作らずにはいられぬ>という切実さがあった。西田の孫
で教育学者上田薫さんは、そう振り返る(「西田幾多郎歌集」岩波
文庫)

 <死にし子の夢よりさめし東雲(しののめ)の窓ほの暗くみぞれ
するらし>。

 第三高等学校卒業を直前に控えた長男を亡くしたのが、知命
(50歳)の年だった。

 <妻も病み子ら亦(また)病みて我宿は夏草のみぞ生ひ繁りぬる>。
その5年後、闘病を続けていた妻も失う。

 不眠の夜もある。庭もただ荒れるままの日々-。生きてあること
の苦しみやつらさは、時代を画した哲学者にも例外なく訪れた。

 <われ未だ此(こ)の人生を恋ゆるらし死にたくもあり死にたく
もなし>。

 悲しみに押しつぶされそうになっても、なお生きようとする自分が
いる。

 西田の歌からは、思索を生きる人も、生活の糧を求めて毎日を
暮らす人も、変わらずに抱く人生の感慨が伝わってくる。

 <年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆくなり>。

 年暮狂歌と題する、これも西田の作。さらさらと止めどなく時は
流れている。それは、なにも歳末に限らない。

 今この瞬間を精いっぱい生きろ。そう背中を押してくれる。

                 卓上四季より

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 西田氏は『善の研究』を書く直前の明治40年、次女と五女を
あいついで亡くしています。

 さらに、大正7年から、西田氏にふたたび不幸が続き、母の
死、長男の死、子供たちの病気、そして、妻の死が続きました。

 彼は、人間が一生涯で、経験できないくらいの悲しみを体験し、
心を深めております。
 
 彼は、日本で唯一の世界が認める哲学者でもあり、禅を西洋人
に理解してもらうために禅僧ではなく、哲学者になったのです。

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 禅は、要するに、自己の存在の本性を見抜く術であって、
それは束縛からの自由への道を指し示す。

 我々有限の存在は、常にこの世で様々の束縛に苦しんでいるが、
禅は、我々に生命の泉からじかに水を飲むことを教えて、我々を
一切の束縛から解放する。或いは、禅は、我々一人一人に備わ
っている全ての力を解き放つのだということもできる。

 この力は普通の状況では、押さえられ歪められて、充分な働き
を発揮する道を見出し得ないでいる。

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 だから、心の奥の無限の境地に至りましょう!と、禅を世界に
勧めているのです。

 西田幾多郎の生涯は「人生坐り込み」であり、畳に坐り、思索に
坐り、板に坐り、書に坐り、悲哀に坐り、日本に坐り、壁に向かっ
て坐り、直観に坐り、夜半に坐り、無に坐り、石に坐って、逆にも
坐った。

神は宇宙の外に居て宇宙を創造したり統制したりする存在ではなく、
人間や自然の全ての中に宿り、宇宙に統一を与えている内的存在
であるという宗教観であり、分析的思考よりも無意識をも包含した
深い直覚を重んじる自我認識である。
 
 難しい内容ですが、西田幾多郎氏は、神秘体験も、内なる存在も
西洋の科学に照らし合わせて、学問の体系にしたのです。

 ここでも、座る!という言葉が出てきましたが、彼は座ることに
よって自己の内面から答えが出てくることを身を持って教えて
くれているのです。

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 然るに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統一を
以て満足するものではない。

 更に進んで一層大なる統一を求めねばならぬ。我々の大なる
自己は他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を
表わし他人と自己との一致統一を求むるようになる。

 我々の他愛とはかくの如くして起ってくる超個人的統一の要求
である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大
なる平安と喜悦とを感ずるのである。

 而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本で
ある。我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、
無限の喜悦、平安である。

                  善の研究より。

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 我々の無限なる精神は決して、個人の統一だけでは満足は
しない。

 さらに進んだ大いなる統一を求めなければならない。我々の
大なる自己は、他人も自己も含まれたものであるから、他人の
事も自分のことのように思い、一体化を計るようにするのだ。
 
 我々の他を愛することはかくの如くして起ってくる超個人的
統一の要求である。

 故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大なる
平安と喜悦とを感ずるのである。

 宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本である。
我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限の
喜悦、平安である。
 
 日本が誇る偉大な哲学者・西田幾多郎氏は、座してこのような
考えに至ったのです。

 私たちも、座して、心の奥の愛の根本、喜びの根本に至り
ませんか。

 年末年始は、心を深める良い機会だと思います。

 尚、このメルマガの年末年始は、3日まで休み、4日から始動
致します。

 今年もお世話になりました。心より感謝しております。
 
 来年も宜しくお願い致します。

   「笑門来福」

   良いお年を!!

「追」すべての皆様に、ご返事が書けないことをお詫び致します。


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