恵方とは、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角で、その年の干支によって決められるそうです。


 前回まで命数の「分」の 説明をしましたが、今日は、この分にも
関係がある節分です。

 節分とは季節を分ける日という意味があり、明日からは立春に
なります。

 明日から立春だからなのか、厳寒の北海道にはめずらしく、
日中はプラス6度もあり春の陽気でした。

 さて、2011年の恵方は、南南東のやや右の方位ということです。

 恵方とは、その年の歳徳神(としとくじん)のいる方角で、その年の
干支によって決められるそうです。

 この恵方はめでたく良い方向とされ、陰陽道(おんみょうどう)での
考え方です。

 そして、福を巻き込むということで、恵方巻きを食べますが、中味
の具材も七福神にちなんで七種類ですから、縁起も良く、恵方巻き
を食べる人は、意識を深めて下さいね。

 そして、福を呼び込んで下さいね。

 七福神と言えば、毘沙門天(びしゃもんてん)が有名ですが、
上杉謙信は自らを、この毘沙門天の生まれ変わりと信じ、上杉軍の
旗に「毘」と記しました。

 彼は毘沙門天を守り神として心に宿すことにより、大ブレイクした
のです。

 毘沙門天が七福神の1つに加えられた理由は、1つは、勇気を
持って悪に立ち向かえば、財をもたらすということ、毘沙門天は
幸福の神である吉祥天を妻としたところから、毘沙門天も、福を
もたらす神とみなしたこと。

 またその軍神的性格から、貧乏神を退散させてくれるという説
まであります。

 上杉謙信は戦場で活躍したばかりでなく、佐渡の金山も開発して
いますから、毘沙門天を守り神とすると豊かな財宝にも恵まれた
のでしょう。

上杉謙信は、越後の虎、越後の龍、軍神と称されるようになり、
戦国時代でもトップクラスに好感を持たれている武将です。

 分身とか、化身とか、生まれ変わりとか、本人が確信すれば
するほど、偉大なパワーとか神通力が引き出せるようです。

 そして、前回の続きにもなりますが、塵沙大王=深沙大将も
毘沙門天の化身と言われています。

 塵沙大王=深沙大将は、玄奘三蔵の命を救い護衛しましたが・・・。

==========
 唐の玄奘が、天宝元年(742)西蕃(せいばん)の入冦(にゅうこう)
の際に、時の名僧第一として誉れの高かった不空三蔵に命じて
毘沙門天に祈らしめたところ、毘沙門第二子の独健が鎧、兜に
身を固め矛を取って現れ、蕃敵を潰走せしめた・・と『宋高僧伝』
に伝えている。
==========

 という資料があります。

 ここに出てくる不空三蔵とは、真言密教の六代目の継承者でした。

 真言密教を伝えた系譜は、空海まで八代の開祖がいました。

 大日如来(一祖)→金剛薩?(二祖)→龍猛菩薩(三祖)→
龍智菩薩(四祖)→金剛智三蔵(五祖)→不空三蔵(六祖)→
恵果(七祖)→弘法大師(八祖)
  
 空海が、当時の中国密教の最高峰であった青龍寺(せいりゅうじ)
の恵果(けいか)和尚の門をたたいたのは貞元21(805)年6月
初旬であった。

 恵果は非常に喜び、空海に次の様に申しました。

「私は以前からそなたがここに来ることをしっていました。長い間
心待ちにしていたのです。今日やっと会えて、大変感激しています。」
 
 その前に、時代をさかのぼって、恵果は七祖ですから、不空三蔵
(六祖)の弟子になります。

 不空三蔵は、怪物、とも称されております。唐において密教が
認められた功績は、この不空によるものです。

 不空の活躍は、目覚しいものでした。多数の密教経典を漢訳した
だけでなく、皇帝のために数多くの修法をし、実績を残しています。

 今日読んでいる密教経典の大半が不空の漢訳によるものです。
経・律・論に通じていたため、不空三蔵とも言われております。

 不空三蔵は、北インドのバラモン出身の父親と西域の母親との
間に生まれました。早くに親を亡くし、10歳で出家し、金剛智の
弟子となります。

 金剛智より金剛頂経系の密教を学び、金剛智の没後、インドに
渡り、各地で教化をしながら南方の吉祥山に向かい龍智に金剛界
密教の秘法を授かりました。

 そして、密教経典の原典500部をもって唐に帰えりました。

 唐に戻るとすぐに宮中に迎え入れられ、国家のために多くの修法
をしました。特に、請雨止雨(しょうしう・・・雨乞い、雨止め)の法は
得意で、この功績により玄宗皇帝から「智蔵」の称号を与えられます。

 玄宗皇帝・楊貴妃の信任厚く、唐の国に密教を隆盛させました。
安禄山の乱に際し、鎮護・謀反鎮圧の修法を行い、功績を挙げて
います。このように、内乱や外敵の攻撃に際し、数多くの修法をし、
成功を収め、鎮護国家、国内平和のために働きました。

 その法力は、すばらしいもので、他のどの僧も及ばなかったよう
です。このため、「大広智三蔵(だいこうちさんぞう)」の称号を授け
られています。

 晩年、文殊菩薩の旧蹟とされる五台山に金閣寺を建立し、密教の
道場とし、文殊信仰を広めました。また、弟子には、弘法大師空海
の師である恵果(けいか)がいます。
 
 大暦9年 (774年)6月14日長安の大興善寺で密教第6祖の不空
は死の床にいて弟子の恵果を呼び次の様な遺言を述べました。

 「恵果よ、わしの命はもう絶える。そなたには金・胎両部の秘法を
伝えたが、この密教は唐ではやがて滅ぶであろう。そこでわしは東の
国へ密教を伝えたい。わしの命は東の国へと移りそなたと再びめぐり
合い、そなたの弟子になるだろう。」と言い遺して死にました。

 師の言葉を信じ恵果はずっと待ったそうです。

 そして、30年後に恵果が空海に会ったときに、空海は師の不空
三蔵だと思ったのです。

 師の不空三蔵は、約束通りに、東の国から来てくれた!と思った
のです。
 
 そして、恵果は空海に・・・・。
 
 「私はずうっと前からあなたが来るのを待っていた。さぁ、時間が
ない、早速灌頂を・・・。」

 といって、弟子入りしたばかりの空海に、金剛界と胎蔵界の両部
の大法を授けるのです。

 これは、前代未聞のことでした。特に、金剛界・胎蔵界の両方を
伝授される弟子は少なく、多くは片方だけの伝授でした。

 しかし、空海の器は、片方だけでは不十分であり、両部ともどころか、
それ以上のものであることを恵果阿闍梨は即座に見抜いたのです。
なので、多くの弟子をさしおいて、空海に恵果阿闍梨が知りうるすべて
の教えを伝えたのです。
 
 続きは次回に書きます。

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