「幸せの和」の発送が1週間程遅れております。


 縁起が悪い話題になりますが、今回は私の父が他界して、
葬儀に参列しておりました。

 享年83歳でした。

 脳梗塞で入退院を繰り返しておりましたが、今回は大腸憩室症
という病名で、大量に下血して危篤状態に陥り、他界してしまい
ました。

 大腸憩室(けいしつ)症とは聞き慣れない病名ですが、憩いと
いう漢字がありましたから、警戒するほどの病気ではないと勝手に
思って油断をしてしまいました。

 ところが、意に反し、出血が大量だったために、それが致命傷に
なってしまいました。

 元々、脳や心臓が弱っていたので、その部分を警戒していたの
ですが、とんだ「憩い」の漢字でした。

 残念ですが、寿命ですから、仕方がありません。

 父は、戦時中は予科練に志願した程、血気盛んのようでしたが、
年を取ると見る影もありませんでした。

 予科練とは、旧制中学校4学年1学期修了以上(後に3学年修了
程度)の学力を有し、年齢は、満15歳以上20歳未満の志願者から
選ぶ、飛行予科練習生のことです。

 つまり、神風特攻隊としてゼロ戦闘機に乗るパイロットの養成の
ことです。 

 ゼロ戦に載って、特攻隊になる直前で、終戦になったそうです。
終戦が、何ヶ月か遅くなっていたら、命を落としていたことに
なります。

 お酒を飲むと、“七つボタンは、桜にいかり~♪” という歌を
歌っていました。

 この歌だけが唯一、父の音程がズレずに歌えるの歌でした。

 この年代の人達は、成長期に戦時中だったので、栄養状態が悪く、
脳や心臓などの内臓、血管などが、弱い傾向にあるそうです。

 成長期に、体を鍛えてしっかり栄養をとることは、その後の
人生にも大切なことなのですね。

 世界恐慌から経済が破綻して長くて悲惨な戦争に突入したの
ですから、今の時代よりも、厳しい最悪の少年期、青年期を送った
ことになります。

 このような名も無き人々が、お国のために戦争に行き、生き
残った人々が戦後の日本を支えてきたのですから、多くのご老人
には、ただただ感謝あるのみです。
 
 最近の戦争映画の「太平洋の奇跡」を、多くの皆さんが涙を流し
て観ているそうですが、深い感謝の思いもあるようにも思います。

 今回は、私ごとの話題で恐縮でした。
 
 さて、話は変わりますが、『幸せの和』や一部の商品の発送が 
1週間程遅れております。ご迷惑をおかけして申し訳ありまん。
 
メルマガの本文も、来週から書く予定でおりますので、
ご了承下さい。

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