なぜほとんどの人の人生に苦労が多くて報われないのか? 


< 第1988回 > 2012年10月3日発行

 「人生とは重き荷物を背負って坂道を登るようなもの。忙ぐべからず」との言葉を残したのは、徳川家康です。

  徳川家康は、幼くして母と生き別れになり、6歳からは人質として過ごし、成長して武将になってからも、織田信長の命令で、最愛の妻と長男を自害に追いやられ・・・・

 信長亡き後も、豊臣秀吉の屈辱的な家臣になり、当時、辺ぴな関東に国替えを強いられ、59歳の時の天下分け目の関が原の戦いで勝利して、3年後の62歳で、やっと念願の征夷大将軍になれたのです。

 関が原の戦いの時に、僧侶の天海が参謀としてついており、このころから彼の人生は好転しているのです。

 人生50年の時代に、平均寿命をはるかにオーバーした晩年に天下をとっても・・・、という感はありますが、現代の年齢だと、80歳になって天下が取れた?という感じでしょうか。
 
 天海が歴史の表舞台に登場するのは1588年、無量寿寺北院(現在の埼玉県川越市にある喜多院)に赴いたとされ、翌1589年には徳川家康と会い、天台密教の教えを説いたといわれています。

 1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、浅草寺の住職忠豪とともに家康の陣幕にいたとされています。

 その後は家康の厚い信頼を受け、1591年には江戸崎不動院の住職、1599年には北院の住職となっています。

 1600年の関ヶ原の戦いにおいては、天海は家康の傍にあり、参謀としての役割を果たしたといわれています。

 その後、天海は江戸幕府成立の枢機、江戸の街割りの決定などに深く関わり「黒衣の将軍」と呼ばれるようになります。

 1607年には比叡山延暦寺を再興し、1613年には家康より日光山貫主を拝命し、本坊の光明院を再興しています。

 1616年に家康が亡くなると天海は金地院崇伝・本多正純などを抑え葬儀を取り仕切り、家康を「東照大権現」として祭祀しています。

 その後は二代将軍徳川秀忠・三代将軍徳川家光に仕え、1643年に108歳でその生涯を終えています。

 ちなみに、織田信長も、豊臣秀吉も、僧侶を参謀につけてはおりません。政権が短期間なのは、現代の内閣総理大臣と同じですね。

 徳川家康が僧侶である天海を参謀につけたことは、もう一人の「本来の自分」の無限のパワーを引き出す方法を教えられたことになりますから、それまでの人生とは180度違って思い通りの人生になっているのです。

 幼い頃から、苦労の多い人生だったけれども、それでも徳川家康は、60歳を過ぎて征夷大将軍になり、天下の統一ができたのですから、稀に見る大成功者となり歴史に名を残しているのです。

 彼の場合は、最愛の正妻や長男が、不本意ながらも信長の命令で殺されたという、想像以上の過酷で苦しみの多い人生でしたが、長年の苦労が報われて、念願が成就したのです。

 つまり、彼の場合は、重き荷物を背負って坂道を登った先に輝かしい未来があったのです。

 けれども、大多数の人は、重き荷物を背負って坂道を登るだけで、その先は何も約束されてはいないのです。

 もしも、家康が天下分け目の「関が原の戦い」で、負けていれば、西軍の大将であった、石田三成が天下人になっていたのですから苦労が報われなかった人生ということになったのです。
 
 このような報われないのに、苦労ばかりで、その荷がとても大きく重くなることも、同時にいくつもの荷を背負わなくてはならないこともあります。

 悲しみや苦しみが幾つも重なり、思うにまかせぬ状態と苦悩の連続で、苦労が報われずに死んでしまう人がほとんどなのです。

 なぜ、ほとんどの人の人生に苦労が多くて、報われずに死んでいくのか? 疑問を持ってくださいね。

 長い人生ですから、良い時も、輝いていた時もあると思います。けれども、その良い時は長くは続かないのが人生なのです。

 特に現代社会では、重荷が幾つも重なり、生きては行かれなくなるほど深刻になり、精神的な病気になったり、自殺したりと、社会現象もなっています。

 もしも、この重荷を軽くしてくれて、しかも、その重荷がたくさんあるのなら協力者が出現して、自分の代わりに背負ってくれる!となったらどうでしょうか?

 さらに、その協力者は神がかり的な力があって、登る坂道ではなく、平坦な道か、下る坂道にしてくれたら、さらに、さらに、坂道のその先には、自分が長年望んでいる輝かしい未来であることが約束されていたら・・・・

 松下幸之助氏の参謀は、真言密教の高僧でした。松下さんは、最愛の長男が生まれて、半年あまりの時に病気で亡くし、絶望の果てに高野山に登り、高僧の加藤大観氏に相談されているのです。

 それ以来、松下幸之助氏は加藤大観氏を、会社に住まいを建設してまで、相談役として招いているのです。

 加藤大観氏は20年間も、松下産業の相談役になっております。

 松下幸之助氏も、参謀として加藤大観氏が相談役になった頃から、事業が大きくなり、世界的に有名な企業になっておりますから、「本来の自分」の協力者が出現して、有り得ない奇跡が起っているのです。

 徳川家康も、松下幸之助氏も、歴史上の人物というか、名を残した人物には、軍帥や名参謀がついていて、その人の「本来の自分」のパワーを引き出す方法を教えているのです。

 徳川家康も、松下幸之助氏も、これだけ苦しんだのだから、「本来の自分」が、それぞれ、天海や加藤大観氏を、引き合わせたのでしょう。

 「本来の自分」の仕事は、第一段階では、悲劇的な苦悩を全力で与えることですから、それで、役目は十分果たしているのですが、彼らは自分達の境遇に疑問を感じ、どうしてこうなるのか?と、神様に嘆願したのかも知れません。

 特に、僧侶は、各自の眠っている「仏性」を引き出すことが最大の課題なのですから、当然の如く、その人の「本来の自分」の無限のパワーを引き出すのです。

 田中角栄氏にも一時期までは、新潟県の西山町(現柏崎市)在住のお坊さんが、相談役についていました。田舎の土建屋さんの親父が、奇跡の快進撃を起こして内閣総理大臣になっているのですから、有り得ないことです。

 私達は、「本来の自分」に戻り、無限のパワーを引き出し、無限の叡智と、無尽蔵の富の恩恵を授かるために、この世に生まれてきているのです。

 そのためにも、一日も早く、第二段階に進むことを意識して下さい。

 
 ありがとうございました。

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