思考などは、ほとんどが無意識の支配にありますから要注意なのです。


< 第1999回 > 2012年10月19発行

前回は、回数と日付を間違えて、そのまま送信してしまいました。ミスをお許し下さい。

 1999回とは、いつの間にか?という感じですが、次回が2000回になるのですから、これはターニングポイントになるのか、無意識の惰性には気をつけろ!との警告なのかも知れません。

 私達の1日はほとんどが無意識で生きています。車の運転や良き習慣などは、無意識でもいいのですが、いつでも無意識の惰性の状態では「本来の自分」から遠ざかり、困った問題が発生するのです。

 思考などは、ほとんどが無意識の支配にありますから要注意なのです。
 
 このメルマガでは、無意識についてはたくさん説明してきました。

 私達が起床して就寝するまでの通常の意識が顕在意識で、自覚している意識です。 これは自分の意志でもあります。

 けれども、通常では気がつきませんが、意識の下に大部分を占めている潜在意識があります。 これが無意識と呼ばれています。

 潜在意識には、ものすごい情報量があり、内臓の働きから毎日の生活習慣まで、24時間ほとんどすべてに関与して働いています。

 ですから、その点では非常にありがたく、心からの感謝なのです。

 最近言われているのは、顕在意識の情報量は、1秒間に20ビット前後で、潜在意識は1秒間に1100万ビットということですから、潜在意識=無意識の世界では、顕在意識の500万倍以上の情報を処理できることになります。

 ひと頃は、潜在能力や潜在意識を使って、眠っている100万倍のパワーを使って成功しよう!と言われていましたが。

 実際は、この潜在意識は七識のマナ識のことで、その奥に肝心の超意識というのか、インナーグレートというのか、実際に協力してくれる無限のパワーの「本来の自己」がいるのです。

 このパワー無限ですから、例えば1000億倍以上の無限倍なのです。

 願望が叶ったり、発明家が突然閃いたり、直感が生まれるのは超意識と顕在意識がつながり、超意識のパワーが流れている時なのです。

 ところが、この超意識のパワーを遮断しているのが、500万倍の潜在意識なのです。

 20ビットの私達の意識では、500万倍の潜在意識にはどう考えても太刀打ちできません。

 500万倍の潜在意識は、どんなことでも、ことごとく妨害してくるので、いくら努力しても竹やりで、最新の戦闘機に挑むようなものですから、非常に厳しいのです。

 それで、無限のパワーの「本来の自己」に応援を頼る以外にありません。

 このために誰もが簡単にできそうなのが、例のプロセスなのですが・・・・。

 よくよく考えてみると、これは不可解です。

 このメルマガでは、無意識の働きで1997回が、2回になり、17日、17日と、時間が止まっていました。

 時間が止まる!ということは、「今 ここ」という概念になります。

 「本当は時間なんてない!」と言うことを無意識が教えてくれたとしたら、これは無意識でなく、超意識の働きかけになります。

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 まず理解すべきことは、『いま』とは時間の一部ではないということです。

『いま』とはなんでしょうか。それは、この世に時間など存在しないことを見抜いたときに訪れる、『永遠』のことです。

いままでも、そしてこれからも『いま』があるだけで、時間は流れていませんし、そもそも時間など存在していません。

『ここ』とは、すべてがひとつであることを体感したときに広がる、本当の自分の唯一のありさまです。

したがって『いまここ』とは、永遠なるもの、ひとつなるもの、宇宙、神、全体、真我(本当の自分)・・・それらを総称した真理そのもののことです。

            「さとりの授業」 阿部敏郎

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 真理を教えてくれたのですから、超意識である「本当の自分」が仕向けたミスということになります。
 
 そういえば、前回のメルマガに「今、ここ」の文章を無意識に書きました。
 
>唱えている時だけでも「今、ここ」にいることができます。遊びに夢中になる子供のように「今の瞬間に、ここ」に生きると、純粋な心になれます。

 私は、書くことに詰まると降龍=六徳からの命数をイメージします。風邪の時も、頭痛の時も、この動作とイメージが癖になっているので、困ったことが起きたら、反射的にしています。

 この命数は、瞬間に別の次元の自分と変わるような感覚もあるので、重宝しているのです。

 昨日の文章も、私の思考ではなく、深いところから出てきた別の次元の自分の文章ということになります。

 動物でも植物でも降龍のイメージをしますが、命と深くつながることは何に対しても愛しさを深く感じることになります。

 瞬息⇒弾指⇒刹那 の命数がありましたが、「今、ここ」という観点からも、この命数も非常に大切になってきます。

 ちなみに刹那の意味は、念ということで、今の心になってこの命数を念じなさい!ということになるのでしょうか。

 仏教に「刹那主義」という言葉があります。現代の「刹那主義」といえば「今さえよければ後はどうなってもいいと思うこと」の意味ですが、本来の「刹那主義」は「一瞬一瞬を 大事にして生きる」 ということです。

 瞬息⇒弾指⇒刹那の命数は、まさしく、今の瞬間に、ここの本来の自分と生きなさい!との意図で創られたものだと思います。

 悟り!という言葉は、心の吾れ!ですから、心の中の本当の自分になります。心の中の本当の自分と一体化して生きることになります。

 命数の刹那(せつな)は10のマイナス18乗で、次の六徳が19乗ですから、今日の日付とシンクロしています。

 命数の虚空は10のマイナス20乗で、これは虚空蔵のことで、能望のことでもあり、メルマガもちょうど2000回ですから、これにも何らかの深い意味があると思います。

 六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃寂静

 この命数は、空海展に行った時に、不動明王の周りに配置されていた八大童子の名前から、偶然に気づかされたものです。
 
 「コンガラ」童子という名前から「コンガラ」を調べたら巨大な数の単位でそれが命数で、清浄という名前もあり、これは、10のマイナス21乗という微小の数の単位であることがわかったのです。

 1000年以上も昔に、こんな数字が必要だったのか?

 これを説明すると膨大な量になりますから省略しますが、この命数の配列は、明らかに悟りに至る意識のツールであり、少なくとも、1000年~2000年くらい前に、アジアの漢字圏の仏教の関連で、悟りを開いた人物が何らかの意図をもって創ったのです。

 仏教では、思考は現実ではない!と、看破していますが、これは、500万倍以上の情報を勝手に処理している潜在意識のマナ識に支配されているから、この教えがあるのです。

 このミクロの命数にも、八識と九識があるのに、七識のマナ識がないのです。

 これも、思考は現実ではないから騙されるな!という同じ概念からていると思います。

 私たちの「思考」は、問題を生じさせることが大好きなのです。問題が生じていないと、「思考」は存在できなくなってしまうからです。

 「思考」は、過去の辛い記憶を掘り起こし、未来への不安を煽り、懸命に問題を生じさせようとします。

 「思考」は500万倍以上の過去の膨大な記憶から来ていますから20ビットの私達の意識では、思考の奴隷になっているだけなのです。

 だから「今 ここ」と、自分に言い聞かせ、今この瞬間に戻り、ここにある本当の自分と生きることを意識するのです。
 
 そして、20ビットの私達の意識でも、マナ識を意識しないで、ミクロの命数をイメージすれば、「本来の自分」にも、涅槃寂静のフィールドにもアクセスすることができるのです。

 ありがとうございました。

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