望ましい偶然の一致が頻繁に起きたり・・・

< 第2024回 > 2012年11月15日 発行

 昨日、衆議院の突然の解散が決まりました。

 野田さんの自らの「近いうち」解散発言をめぐり野党からの『うそつき』批判の攻撃がじわじわと効いてきたようで・・・・。

 結局、誘導尋問に乗せられて、解散することになったようです。

 政局的判断より、 自らの道徳観を優先した結果になりますが、「近いうち」にしては遅すぎるし、師走の忙しい時の選挙ですから、国民のことは二の次だし、民主党政治の総括と反省もなされていなし・・・・。

 中心の軸がブレまくり、的外(まとはず)れで、人騒がせな解散になります。

 的外(まとはず)れにならないように、中心の軸がブレないように、メルマガで何度も取り上げた、弓の名人のお話しを掲載します。

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 明治末期から大正初期に活躍した、近代弓道の神、弓聖と仰がれた、阿波研造という伝説の弓道家がいました。

 大正末期から東北帝国大学の講師であったドイツの哲学者オイゲン・へリゲル氏(1884-1955)は、日本に滞在中に、この弓聖・阿波研造氏に弓を習いました。

 そして、ドイツに帰国後、彼は、日本での弓道の修行の体験を、「弓術における禅」という本に著したのです。

 へリゲル氏は、ドイツの哲学者ですから、現代人と同じく西洋の合理主義者です。

 論理的な思考と方法論を持ち、この西洋の論理的な考え方を、子供の頃から植えつけられて、彼の絶対の信念になっていたのです。

 それは、これこそが絶対とばかりに他の考え方を受け入れようとはしない、現代人と同じなのです。 

 西洋の合理主義の背景にはキリスト教があり、自分達の考えが絶対であり、その考えを守るためには、相手の考えを攻撃し、戦争にまで至る!という、自分達の考え方が正しいと絶対視する傾向があります。

 自分達の考えは最も科学的で合理的と信じ込み、自分達以外の考え方は断固として認めようともしないのです。

 そんな西洋の合理主義が、頭のてっぺんからつま先まで染み込んでいるへリゲル氏の論理的な考え方が、弓道の師の教えによって、ことごとく否定され、打ち負かされ、ついには論理の限界を超越して「弓道の奥義」を修得して行くことになるのです。

 この本には、その過程が、ドイツの大学の教授らしい感覚で精密に描かれています。

 この本が西洋に紹介されて、日本にも伝わり、禅の心も、弓の名人である阿波研造氏も注目されるようになったのです。

 さて、この本の中でのクライマックスは、へリゲル氏は、阿波研造師範の教えの「的を狙ってはいけない。心を深く鎮めれば、的と自分が一体となる。自分自身を射なさい」という言葉に、完全に行き詰まってしまう。という件(くだり)だと思います。

 弓を射るのに、筋肉を使わないで弓を引く。呼吸法による、精神の集中が絶対的な要件になる。矢を放つには、これを放(はな)とうという意志を全く持たないで放つ。

 「あなたは精神を集中し、まず意識を外から内へ向け、次に内にある意識すらも無くしていくことを努力しなさい。」など、

 阿波研造師範の教えは、通常の自分の持っている概念とは、180度、まるで違うのですから、論理的に物事を考えるドイツ人にとっては、全く理解不能だったのです。

 さらに、極めつけは「的を狙わないで自分自身を射る!」という教えですから、一体全体、何のことを言っているのかも分けが判らないし、ふざけるものいい加減にしろ!と、言わんばかりに、へリゲル氏の心は反発し悩み苦しんだのです。 

 ある夜、阿波師範は、へリゲル氏を呼び・・・・。的を狙わずに中(あ)てることなどできる訳がないと固い信念を持っているヘリゲル氏の不信感を取り除くために、暗がりの中で、実演してみせるのです。 

 論より証拠!を、弟子の目の前で実証してみせるのです。

 微かな線香の灯が方向を示すだけで、的は暗がりの中に没して見えないのです。そして、阿波師範は2本の矢を続けて射たのです。

 へリゲル氏が、的に近づいて確認すると、第一の矢は的の真ん中に命中し、そして、第二の矢は第一の矢の軸を貫き、第一の矢軸を二つに割っていたのです。

    →⇒◎(的)・・・二本とも命中です。 

 師範は言う「こんな暗さでいったい狙うことができるものか、良く考えてごらんなさい。的の前では仏陀の前に頭を下げると同じ気持ちになろうではありませんか」

 阿波研造師範の言葉に・・・「的に向かって目を閉じる、すると的の方から近づいて来る、しだいに的と一体になる、それは自分と仏が一体になることです。

的は自己の不動心の中心にあるから狙う必要なく、矢を目の前の中心におくだけです。だからあなたも自己の心の神に気付き、的と矢と一体になれば、的はあなたの心の中心にありますから狙う必要はありません。」と、あります。 

 暗闇の中で、的のど真ん中に命中し、しかも、二本目は、一本目の矢軸を2つに割くほどの正確さとは、まるでマンガのようで、有り得ないことだと思いませんか?  

  →⇒◎(的)        

 「的はあなたの心の中心にあります」という表現からも、心の中心とは命の中心でもあります。 命の中心に中(あた)るのですから命中になります。

 この本の中では、弓に対する西洋人の考えている常識と、弓の名人の教えは、ことごとく違うので、へリゲル氏は、不信感や反発の連続だったのです。

 けれども、彼は、名人の神業を現実に確認できたのですから、この出来事以来、疑うことも、問うことも、思い煩うことも、きっぱりと諦め、自我を捨て、師匠の教えの通りに精進したのです。

 論より証拠!です。これだけの奇跡を目の前で見せつけられたのですから、へリゲル氏の驚きは、長年培ってきた信念を覆すほどの衝撃だったのです。西洋人の固い信念がもろくも崩れたのです。

 ですから、阿波研造師範の教えの通りに、自分の心を捨てて、素直に従ったのです。これがヘリゲル氏の素晴らしいところでもあり、本物を本物として素直に認めるドイツ人の律儀な性質が感じられます。

 阿波研造師範は、暗闇で的を見なくても命中することができるのに、自分はしっかりと目を開けていても、西洋の合理的な考えだけでは、まるで目隠しをして、手足を縛り、身動きができないほど無力であることを思い知らされたのです。

 合理的な精神という盲信は、本当は、浅はかなだけで、狭い枠の中に「エゴの塊」が閉じこもっているだけ!と、気づいたのです。

 科学的、理詰め、博学、常識などを、いくら開(ひらけ)だしても、真理や真髄には程遠いもので、むしろ、邪魔になるだけで、何の役にも立たないのです。

 今まで培ってきた西洋の合理主義に基づく信念は、自分で自分を縛りつけ、どんなに的外れだったのか悟ったのです。

 西洋の合理主義の信念だけでは、邪念が入り、的外ればかりで、一生かかっても、命中することは不可能なのですから、師範の教えに比べたら、何十年も、何百年も遅れている、幼稚で馬鹿げた子供だましの考えであることを痛切に感じてしまったのです。
 
 ですから彼は、師範の教えには、疑うことも、問うことも、思い煩うことも、きっぱりと諦め、エゴも自我も捨てて、一心不乱に精進したのです。

 こうして、へリゲル氏は、苦節5年間の後「無の射」を体得したのです。

 表面的には、弓道五段の段位を獲得したのですが、弓道の極意である「無の射」を体得したからこそ、「弓術における禅」、日本語版「弓と禅」という名著が書けたのではないでしょうか。

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 弓の名人の阿波研造氏は、白隠禅師の丹田呼吸の名人でもありました。

 先日、当る⇒会心⇒命中の順に意識を深めて行くことを奨励しましたが、それは、無限のパワーを持っている「本来の自分」=宇宙の根源の力と、一体化することでもあるのです。

 意識が、中心の中心の中心に命中している状態が、現実の世界ではすべてがうまく行く状態にあります。

 それとは反対に、心の軸が定まっていない政治の世界では、意識がズレまくっていて、的外(まとはず)れの外(ハズ)ればかりになってしまうのです。

 民主党の三年間の政治は、選挙の時にマニフェストに掲げた、国民との約束がほとんど守られず、おまけに約束にない消費税まで押し付けられてしまいました。

 政治生命をかけるのは国民との約束であり、官僚の尻拭いではありません。

 官僚の既得権ばかりが守られて、景気は益々悪化し、国民の心は疲弊するばかりです。
 
 この様な世の中でも私達は、中心の軸をしっかりと定めて自分達の力で、幸せに生きるのです。
  
 「掘り当てる」という言葉があります。

 ゴールドラッシュで、金を掘り当てる、石油を掘り当てる、井戸を掘り当てる、というのが本来の意味ですが・・・・。

 現在では、漠然と宝の山を掘り当てる!とは、何かを成し遂げる意味に使われています。

 意識が、中心の中心の中心に命中している状態にあると、直感が冴えて、とっさの判断が、望ましく良い結果につながったり、絶妙のタイミングで適切な言葉が出て来たり、望ましい偶然の一致が頻繁に起きたり、と、この様な現象が起きてきます。

 インターネットの中でも、ほとんどの情報がニセモノでも、100に1つ、1000に1つの本物を掘り当てることができるのです。

 当たり外(はずれ)の 外(はず)れ、このハズレですが、どうして、ハズレには、外という漢字が使われているのか?それは、外に意識を向けてもハズレしかないよ。

 大多数の現代人はそのことに気づかないで、外にばかり意識を向けて、ハズレの人生になってしまうのです。だから、いつも、中心の中(あた)りに、さらに、命の中の『命中』に意識を向けていると、奇跡が頻繁に起きるのです。

「あたり」は、当たりのほかにも、中(あた)り、當(あたり)、の漢字もあります。當(あたり)は富に似ています。

 外(はずれ)と、中(あた)り、そして、當(あたり)、これからの意味することに問題意識を持って、外ではなく、常に内面の中心に向かい命中を意識して下さいね。

 ◎いつも命中を意識していると・・・・

 物や情報が売れること、的に当てること、ゴールをすること、流行すること、相手に真意が伝わること、相手に受け入れてもらうこと、薬を処方すること、契約が成立すること、アイデアがひらめくこと、創作すること、

当選すること、くじに当たること、相場で当たること、予測が当てること、掘り当てることなど、当たる例は、まだまだあると思いますが・・・・このような日常の出来事であっても、ヒットや当たりの感覚になり、「命中」になります。

 ありがとうございました。



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