日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲

< 第2039回 > 2012年12月03日 発行

 以前から気になっていましたが、米TIME誌に『現代のベートーヴェン』と紹介された天才作曲家がおります

 彼は、35歳の時に完全に聴力を失っていますが、多くの人の魂を揺さぶる傑作を創作しているのです。

 彼は、孤高の天才作曲家・佐村河内守(さむらごうち まもる)と言います。

 彼は広島県で、1963年、被爆者の両親の間に生まれ、10代の頃、独学で作曲を学び、道路工事のアルバイトをしながら生活、一時期ホームレスとなり、半年間の路上生活を送ったこともあるといいます。

 17歳から聴覚異常になり、35歳で突然すべての聴力を失いました。

 彼は、それだけではなく、抑うつ神経症、不安神経症(パニック障害)といった重度の神経障害に合わせ、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が、頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作、腱鞘炎などに苦しみつつ、「絶対音感」を頼りに作曲を続けているのです。

 特に頭鳴症による耳鳴りについて、佐村河内氏は「父と母が、そして歴史が聞いた『原爆の音』。それを私の血がいま、聞いているのかもしれません」と述べているのです。

 現在も1日15種類の薬を服用しながら作曲活動を続けているそうです。

 作家の五木寛之氏が、『もし、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすれば、その一人はまちがいなく佐村河内守さんだろう。

 命をすりへらしながら創るその音楽は、私の乾いた心を打たずにはおかない』との言葉を寄せていて・・・・・。

 さらに、五木寛之氏は ・・・・・

 『ヒロシマは、過去の歴史ではない。二度と過ちをくり返さないと誓った私たちは、いま現在、ふたたびの悲劇をくり返している。佐村河内守さんの交響曲第一番《HIROSHIMA》は、戦後の最高の鎮魂曲であり、未来への予感をはらんだ交響曲である。これは日本の音楽界が世界に発信する魂の交響曲なのだ。』

 と、語っています。

 ボイラーの轟音(ごうおん)や原爆の音が頭に鳴り響く頭鳴症とは、それが慢性になるのですから、想像するだけでも、耐え切れませんが、彼の壮絶な人生を知れば知るほど、このような病気でないことのありがたみを感じます。

 音楽家にとっての耳が聴こえない!ということは余計な雑音がなく、無用な作為もなく、無心でできる!とも、言えますが・・・。

 そんな、軽はずみで言えることではありません。
 
 彼は、耳が完全に聞こえないのですから、音楽が自身の心の中でしか響いていないことになります。

 その意味では、第一段階の苦悩にいながらも、第二段階での本来の自分と真剣に向き合っていることになります。

 彼の凄絶な闘いを経て、たどりつく世界を、本来の自分がプログラムしているとすれば、彼の魂の叫びは、彼の芸術性の高みは、計り知れないものがあります。

 五木寛之氏が戦後の最高の鎮魂曲というように、私達の魂を揺さぶり、そして、本当に救ってもくれる真実の音楽だと思います。 
 
佐村河内守氏を紹介しているサイトがありますので、紹介します。

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【佐村河内守プロフィール】

さむらごうち まもる。1963年9月21日、被爆二世として広島に生まれる。幼少より、ピアノ、ヴァイオリン、尺八、マリンバなどの英才教育を受けて育ち、十歳の頃より作曲家を志すも、破綻的なまでの完璧主義とロマン派的クラシック音楽志向から、音大に進まず独学による作曲法の完全習得を決意。

高校時代より凄まじい偏頭痛を患うようになり、生活に支障をきたしながらも東京へと居を移して研鑽を重ねる。

ある経緯から一時ロック歌手としてデビューすることが決まるが、直前に弟・亨が交通事故に巻き込まれて死去。

悲報を聞き『頭に、身も心も引き裂くような不協和音が響いた』というその衝撃を契機に偏頭痛の発作が悪化し、ついには聴力にまで影響を及ぼし始める。

その頃より不協和音を使った現代音楽的要素が作品に入る。耳の不自由な作曲家という話題性が作品の評価に影響することを嫌い、補聴器の使用を隠すため長髪にするなど、しばらくは聴力の低下を隠した困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。

しかしながら聴力障害は悪化の一途を辿り、1998年、35歳の時、ゲーム『鬼武者』の音楽に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となった。

音楽家にとって致命的な障害を負うのみならず、以降慢性的な極度の頭鳴症に悩まされることとなるも、絶対音感による記譜のみで作曲を続けることを決意。

1999年に『鬼武者』交響曲《ライジング・サン》を完成する。邦楽器を取り入れた奏者200人の大編成オーケストラ曲は国内外に高く評価され、米TIME誌に『現代のベートーヴェン』の見出しとともに紹介される等、その存在が一躍注目を集める。

その頃より、障害児施設に通い子供たちとの交流を持つようになった。しかし、その時期から更に激化した頭鳴症が心身を蝕み、血反吐と尿にまみれた生活を送るようになる。

2001年、それまで20年近くかけて書き上げてきた12番まであった交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲第一番『HIROSHIMA』の作曲を開始、2003年ついに完成させた。

その後、精神障害の緩和治療を受けながら、発作を誘発する日光を避けて暗い作曲部屋での隠遁者的な創作活動に邁進。

2008年9月1日、完成後5年以上日の目をみなかった大曲『交響曲第一番』が広島でのG8議長サミット記念コンサートにて遂に初演。

調性と無調性が融合した同曲は驚嘆を呼び、初演の模様が『筑紫哲也のNEWS23』において取り上げられたことを機に佐村河内の存在と楽曲は再度衆目を集めることに。

 2008年11月、広島市民賞を受賞。

著書に自伝『交響曲第一番』(講談社)があり、作家の五木寛之氏が『もし、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすれば、その一人はまちがいなく佐村河内守さんだろう。

命をすりへらしながら創るその音楽は、私の乾いた心を打たずにはおかない』との言葉を寄せている。

孤高を旨とし、私生活では日本の各地で障害児や難病の子供たちとの深い交流を続ける。

自作を聴く事ができない宿命を『作曲とは完全に他社の為の行為』と表し『苦しむ者への救い=光は、苦しみ=闇からこそ産まれる』という信念から、自身の音楽を『闇の音』と表現している。

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日本コロムビアから2011年7月にリリースされた日本人作曲家、佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番「HIROSHIMA」が、発売から1年半あまり経 過したいま、にわかに脚光を浴びている。

Amazonの総合チャートで1位となり、iTunesの総合でTOP5にランクインするなど、クラシックでは異例のヒットとなっているこの曲、なぜ注目を集めているのか。

作曲をした佐村河内守は、1963年 広島生まれの被爆二世。

10歳の頃より作曲家を志し、ひところは、映画「秋桜(コスモス)」の音楽や、ゲーム「鬼武者」「バイオハザード」の音楽で名をはせたが、35歳になり、全聴覚を失うという悲劇に襲われた。

作曲家にとって生命線である聴覚を失い絶望しながらも、闇の中で苦しみながら作り上げた曲が交響曲第1番「HIROSHIMA」だ。

この交響曲は演奏時間は80分を超え、さらに100人を超える大編成のオーケストラで演奏される巨大な交響曲。

聴覚を失いながら膨大な時間と体力を費やし、まさに命を賭して作り上げたこの曲は、発売当初からクラシックファンの間で大きな話題となっていた。

さらに、11月9日にNHK総合「情報LIVEただイマ!」で、佐村河内守の特集がオンエア。

その壮絶な作曲人生を追ったドキュメンタリーが、クラシックファンのみならず、普段クラシックになじみのない層にも強い感動を呼び、ツイッターをはじめとするSNSで、放送中から現在にいたるまで大反響。

発売元の日本コロムビアには注文が殺到し、生産が追いつかない状態となっている。

作曲家の苛烈な生き様が反映された「交響曲」が、多くの人々の共感と感動をよぶ。

いまだかつてなかった、特殊な交響曲という形式への注目と支持は、混迷を深めるこの時代だからこそ生まれた現象といえるかもしれない。

いまなお闇の中で音楽を生み出し続けている佐村河内守という作曲家、今後もますます注目を集めそうだ。

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 ありがとうございました。 
 
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