ソースの波動と同調してつながれば、いつでも幸せを感じることができるのです

<第2156回> 2013年06月12日 発行

 アップストアは審査が厳しい!ということですが、もしも『幸せの和』のアプリをここで売るとなると・・・。

 1万5000文字の文章が必要と言うことですが・・・。

 今後のためにも、私の書いた文章が審査が通るかどうか、書いてみました。

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 アップル社創業者の故スティーブ・ジョブズ氏の愛読書の一つが「弓と禅」であると、彼の自叙伝に書かれております。

 スティーブ・ジョブズ氏は、この業界の既成の概念や常識をことごとく打ち破った人で、1度は潰れかかったアップル社を、わずか15年で時価総額世界一にまで大躍進させた比類なき経営者
す。

 この文章を読むだけで、「弓と禅」の本が、彼の精神に多大に影響していることがわかります。

 さて、ジョブズ氏の愛度書の「弓と禅」の内容も、西洋人の合理主義や常識がことごとく打ち破られるもので、主人公のドイツの大学教授の心の変遷をジョブズ氏は自分の教訓として学んでいたと思われます。
 
 大正末期から東北帝国大学の講師であった、ドイツの哲学者オイゲン・へリゲル氏(1884-1955)は、日本に滞在中に、弓聖と呼ばれた阿波研造氏に弓を習いました。

 そしてドイツに帰国後、彼は日本での弓道の修行の体験を、「弓術における禅」=「弓と禅」という本に著しました。

 へリゲル氏はドイツの哲学者ですから、現代人と同じく西洋の合理主義者です。

 論理的な思考と方法論を持ち、この西洋の論理的な考え方を子供の頃から植えつけられ、合理主義は彼の絶対的な信念になっていたのです。

 西洋の合理主義の背景には、自分たちの考えが絶対であり、その考えを守るためには、相手の考えを攻撃し、戦争をもいとわない!という・・・キリスト教の精神が根底にあり、自分達の考え方こそが常に正しい!と絶対視する傾向があります。

 現代の日本人もそうですが、科学に盲信しすぎて、自分達の考えは最も科学的で合理的であると信じ込み、自分たちの考え方以外は断固として認めないのです。

 そんな西洋の合理主義が、頭のてっぺんからつま先まで染み込んでいるへリゲル氏の論理的な考え方が、弓道の師の教えによって、ことごとく否定され、打ち負かされ・・・ついには論理の限界を超越してしまい、その後へリゲル氏は素直になり「弓道の奥義」を少しづつ修得して行くのです。

 この本には、その過程がドイツ人の大学教授らしい感覚で、精密に描かれています。

 この本が西洋に紹介されて、さらに日本にも逆輸入という形で伝わり、禅の心も、弓の名人である阿波研造氏も注目されるようになりました。

 さて、この本の中でのクライマックスは・・・

 阿波研造師範の教えである、

「的を狙ってはいけない。心を深く鎮めれば、的と自分が一体となる。自分自身を射なさい」という言葉に、完全に行き詰まってしまうのです。

 ・弓を射るのに、筋肉を使わないで弓を引く。

 ・矢を放つには、これを放とうという意志を全く持たないで放つ。

「あなたは精神を集中し、まず意識を外から内へ向け、次に内にある意識すらも無くしていくことを努力しなさい」

 阿波研造師範の教えは、これまでの自分の価値観とは、180度違うのですから、論理的に物事を考えるドイツ人にとっては、全く意味不明、理解不能だったのです。

 さらに、極めつけは・・・「的を狙わないで、自分自身を射る!」

 という教えですから、一体全体何のことを言っているのかも分けが判らないし、ふざけるものいい加減にして下さい!と言わんばかりに、へリゲル氏の心は反発し、悩み苦しんだのです。 

 ある夜、阿波師範はへリゲル氏を呼び・・・

 的を狙わずにあてることなどできる訳がない!と固い信念を持っているヘリゲル氏の不信感を取り除くために、暗がりの中で実演してみせます。 

 論より証拠!を、弟子の目の前で実証してみせたのです。

 微かな線香の灯が方向を示すだけで、的は暗がりの中に没して見えない。その時、阿波師範は2本の矢を続けて射ました。

 へリゲル氏が的に近づいて確認すると、第一の矢は的の真ん中に命中し、そして第二の矢は第一の矢の軸を貫き、第一の矢軸を二つに割っていたのです。

   →⇒◎(的)・・・二本とも命中です。

 師範は言いました・・・

「こんな暗さで、いったい何を狙うことができるものか、良く考えてごらんなさい。的の前では、仏の前に頭を下げるのと同じ気持ちになろうではありませんか」

さらに、阿波研造師範の言葉に・・・

「的に向かって目を閉じる、すると的の方から近づいて来る。しだいに的と一体になる、それは自分と仏が一体になることです。

 的は自己の不動心の中心にあるから狙う必要なく、矢を目の前の中心におくだけです。

 だからあなたも自己の心の神性に気付き、的と矢と一体になれば、的はあなたの心の中心にありますから、狙う必要はありません」とあります。

 暗闇の中で的のど真ん中に命中し、しかも二本目は、一本目の矢軸を2つに割くほどの正確さとは、まるで漫画のようで、有り得ないことだと思いませんか?

   →⇒◎(的)

「的は、あなたの心の中心にあります」という表現からも、心の中心とは命の中心でもあります。
命の中心にあたるのですから、命中になります。

 この本によれば、弓に対する西洋人の考えている常識と、弓の名人の教えがことごとく違うので、へリゲル氏は、不信感や反発の連続だったのです。

 けれども彼は、名人の神業を現実に確認して以来、疑うことも、問うことも、思い煩うことも、きっぱりと諦め、自我を捨て、素直になり、ひたすら師匠の教え通りに精進したのです。

 ・論より証拠!

 ・百聞は一見に如かず!

 これだけの奇跡を目の前で見せつけられたのですから、へリゲル氏の驚きは、長年培ってきた信念を覆すほどの、大変な衝撃だったのです。

 西洋人の固い信念が、もろくも崩れ去った瞬間です。ですから阿波研造師範の教えの通りに、私心を捨て、素直に従ったのでしょう。
 
 そして、これがヘリゲル氏の素晴らしいところでもあり、本物を本物として素直に認める、ドイツ人の律儀な性質が感じられます。

  阿波研造師範は、暗闇で的を見なくても命中することができるのに、西洋人の自分はしっかりと目を開けていても、西洋の合理的な考えだけでは、足元にも及ばないほど無力であることを思い知らされたのです。

 合理的な精神という盲信は、本当は浅はかなだけで、狭い枠の中に「エゴの塊」が閉じこもっているだけだ!と気づいたそうです。

 科学的・理詰め・博学・常識などをいくらひけらかしても、真理や真髄には程遠いもので、むしろ邪魔になるだけで、何の役にも立たないことに気づいたのです。

 今まで培ってきた、西洋の合理主義に基づく信念は、自分で自分を縛りつけ、どんなに的外れだったのかを悟ったのでしょう。

 ですから彼は師範の教えには、疑うことも、問うことも、思い煩うことも、きっぱりと諦め、エゴも自我も捨てて、一心不乱に精進しました。

 こうしてへリゲル氏は、苦節5年間の修練の後「無の射」を体得したそうです。
 
 表面的には、弓道五段の段位を獲得したそうですが、弓道の極意である「無の射」を体得したからこそ、「弓術における禅」、日本語版「弓と禅」という名著が書けたのではないでしょうか。

 ジョブズ氏は病気を患った晩年も、長男や娘を連れて何度か京都の禅宗である臨済宗の西芳寺(苔寺)を訪れていますので、禅の精神には、大きく影響を受けて、傾倒していたことがわかります。
 
 肥田春充という武術の名人も臍下丹田の一点を「聖中心」と称して、神業や奇跡を起こしています。

 彼も、目隠しをして針金の的を射止める!という神業を実現しておりますので、阿波研造氏の神業の真実を検証したことになります。

 肥田春充氏も、何度やっても、場所を変えても、一度たりとも外さなかったということです。

 目隠しですから、弓の名人と同じく外にある的を見ていない、的を狙ってはいない!ことになります。

「1000 万回やったら、一発くらいは外れませんか?」と、聞かれた肥田春充氏は、「当ててから矢を放っているのですから、外れるということはありません」と、答えたそうです。

 「当たり前」という言葉は、当然という意味ですが・・・。

 ○当たることを当たる前にするから確実に当たる!
 
 ○確実に当たることを、当たる前にしているから、百発百中、  的中するのは、当たり前になる!

 「当たり前」という言葉は、次元の違う領域で、つまり、心の深い領域で、事前に行われているから使われる言葉なのです。
 
・命中とは、命の中と書きますが、中の漢字はアタルとも読みます。
  命の源流に中てているから命中するのです。

 なんだかややこしくなってきました。
 
 肥田春充氏は、丹田を科学的に解明した人でもあり、阿波研造氏も、白隠禅師が実践していた丹田呼吸の名人でもありました。

 当る⇒会心⇒命中の順に、意識を深めて行くことは無限のパワーを秘めている「本来の自分」と「宇宙の根源の力」と一体化することでもあります。

 意識が中心の中心の中心に命中している状態が、現実の世界ではすべてがうまく行く状態になります。

 それとは反対に、心の軸が定まっていない現代人の多くは、意識がズレまくっていて、的外れのハズレばかりになってしまうのです。
 
 現代人のほとんどが、無限のパワーを秘めている「本来の自分」と言っても、理解不能だと思います。

 臍下丹田、無限のパワー、「聖中心」、自己の不動心の中心、自己の心の神性、大いなる自己、『命の源流』アートマン、と言っても、何のことやら?意味不明なのです。

 けれども、内なるパワーの本質を常に無視していれば、外の現象にばかり振り回され、的外れのハズレばかりの人生になってしまうのです。

 大いなる源(ソース)=『命の源流』を無視して、離れてしまうから、色々な問題や争いが起きるのです。

 大いなる源(ソース)=『命の源流』から離れれば離れるほど、自我の意識が強くなり不幸になるのです。

 不安や恐れは自我が作り出す妄想なので、大いなる源(ソース)につながると不安や恐れはなくなり、安心感に変わります。

 内なるパワーや大いなる源(ソース)は目には見えなく、感じることもできないので、説明が難解になります。

 そこで、役立つのが、『命の源流』の象徴である『幸せの和』なのです。百聞は一見に如かず!です。

 『幸せの和』を見るだけで、懐かしさを感じる人もおります。
 
『幸せの和』の体験談からも、これを手にとり見ているだけで、安心感や安堵感が湧き上がり、思わず微笑んでしまうのです。

 そればかりか、エネルギーを敏感に感じる人は体感できて、色々な奇跡が起きるのも『命の源流』につながったているからだと思います。

 そして、『幸せの和』のエネルギーは、次元を超越しているので、当たり前の現象が起きるのです。

 『幸せの和』の影響で、4億円のロト6が当たった!という体験もありましたが、これも、当たる前に当てる現象になっていたからだと思います。

 『幸せの和』は、人の意識にも同調していることもわかり、ソースの波動と同調してつながれば、いつでも幸せを感じることができるのですから、納得できます。

 これが、幸せの本質であり、私達の本来のあるべき姿なのです。
 
 長くなりましたので、次回に続きます。



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