地獄にいるか天国にいるかという選択権は瞬間毎にあなたが持っている

<第2176回> 2013年07月17日 発行
  
 自分が考えている思考は、自分ではない!とはどういうことですか?という質問が、今日もありました。

 これは誰もが当然、疑問に思うことですね。 

 以前のメルマガに「名色分離智」のことを書きました。

その部分を抜粋します。

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 仏教には、「名色分離智」という言葉があります。これを意訳すれば、「思考は現実ではない!」となるそうです。

 苦しみの感情を受け入れ、その「思考は現実ではない!」と、看破することで、次の段階に進むことの説明がありました。

 思考世界のまどろみから目覚め、今ここを生きはじめる分岐とみなす。とも、説明がありますから、どうやら彼の本のプロセスの原点は、チベット仏教や、小乗仏教から来ているようにも思います。

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 この中の彼の本のプロセスとはマネゲの本になります。マネゲの本でも、目の前の現実が幻想で、思考も自分を制限するためにある幻想ですから、自分と思っていた思考も感情も、エゴのマナ識に操られたニセモノの幻想なのです。

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 思考に自己同一化している限り、心へのはまり込み状態にあるため、心を対象化してその様相をあるがままに観ることはできない。

 それゆえいつまでも心の諸症状に翻弄されながら生きて行かざるを得ないのです。

 つまり、いつまでもエゴの牢獄からぬけきれず、奴隷状態が続くのです。 つまり、エゴの支配下にありますから、苦しみの状態が続くのです。

 しかし、思考との融合状態から抜け出られたとき世界は開かれ、世界との触れ合いはよみがえり世界とかみ合っていけるようになります。

 思考世界のまどろみから目覚めると、今ここを生きはじめる分岐点になるのです。

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 これはお釈迦様の教えです。

 止めどもなく湧き上がる思考や感情は、本当の自分のものではない!と、初めて発見したのは、お釈迦様だといわれております。

 思考や感情に自己同一化している限り、つまり、思考や感情が本当の自分だと思っている限りは、幻の苦の世界に生きていることになります。

 「本当の自分は」・・・。

「何でも望みどおりのものを創り出す無限の力がある。そして、無限の豊かさの一部であり、自分には何も欠けているものがなく、何も不足しておらず、すでに満たされた完全な無限の存在である。」

 けれども、多くの人は、「本当の自分」に気づかないで、思考世界のまどろみの中で、生きているのです。

 無意識になると、エゴのマナ識の支配になりインチキの思考や感情に翻弄され、地獄にいることになります。

 それとは反対に、無意識にならず、一瞬、一瞬に気づき、今ここを意識していると天国にいることになります。

 これに取り組むのは難しいことではないが、それを継続することは難しいものがあります。

 この状態を継続することができると、「高次の自己」に目覚めて、「現在に存在」することになるのです。

「中今(なかいま)」という神道から由来する言葉があります。

 その意味は、過去を悔やまず、未来を思い悩まず。ただ、この一瞬一瞬の、今を、生きることです。

 うれしさ、楽しさ、幸せは、今ここにあります。

 今ここにある幸せを受け取ることで、さらに新しい幸せが届きます。

 今を生きること、中今(なかいま)の好循環です。

 地獄にいるか、天国にいるか、という選択権は、瞬間毎にあなたが持っている、ということなのです。

 もしも、あなたが無意識だったら、なにがしかの地獄にいます。

 それはあなた次第。 あなたが意識して中今(なかいま)にいるとき、あなたは天国にいます。

 中今(なかいま)にいれば、過去の悔恨も、未来への不安も手放して、真の自己を生きられるのです。


 次にメルマガで紹介していた本の白隠さんのエピソードとは?気になりますが・・・・。との、質問がありましたので紹介します。

 白隠さんのエピソードです。

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 白隠禅師が住んでいた村の財産家の娘が妊娠した。

 娘は聞かれても相手の名を明かさない。しかし娘の父親が執拗に聞き出そうとし、脅しつけたので、娘は
それから逃れようとして、それは白隠さんだと告げた。

 娘の父親はそれ以上何も言わず、子供が生まれるのを待った。生まれるとすぐに白隠の元へ連れて行って、「これはおまえの子供だ。」と言い、禅師の前に放り出した。

 そして、考えつく限りの悪口雑言を浴びせかけ、あらゆる侮蔑とあざけりをまくし立てた。

 黙って聞いていた白隠さんは、聞き終わるとただひと言、「おお、そうなのか?」とだけ言ってその子を腕に抱いた。

 それからというもの、白隠さんはその子を自分のボロボロの僧衣の袂にくるんで、どこへでも連れて歩いた。雨の日も嵐の夜も、雪の降る日も白隠は近所の家々を廻って、その子のための乳を乞うて歩いた。

 白隠禅師には多くの弟子がいたが、その多くが「禅師は堕落してしまった」と思い、彼の元を去った。しかし白隠はひと言も言わなかった。

 一方、母親である娘は、自分の子供から離れている苦しみと悔恨の情から、とうとう子供の本当の父親の名を明かした。

 娘の父親は白隠さんの元へ駆けつけてひれ伏し、頭を地に擦りつけるようにして、繰り返し許しを乞うた。
 
 白隠さんは、「おお、そうなのか?」とだけ言って、娘の父親に子供を返した。

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 これが禅の人の受容性です。自分に起こることは全て受け入れる、すべて自分が責任を取る。何も良くはなく、何も悪くない。全てが神性なのです。

 それを受け入れることで、やがて、欲望が消えます。緊張が消えます。不満が消えます。それをあるがままに受け入れることで、人はとても楽しく感じ始めるのです。全く何の理由もなしに!

 あなたが自分の内側に入ること、自分の内側を見ることを続けていれば、いつか必ず、それも突然、理由のない喜びが起こることでしょう。それはあなたを解放するのです。

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 ありがとうございました。


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