エゴの思考はもともと存在していないのですから翻弄されることもないのです。

<第2179回> 2013年07月23日 発行

「白隠さんのエピソードから、白隠禅師は、現代だと生きては生けませんね。犯罪者になって刑務所に入ってしまいますね。」

 という質問がありました。

 一休さんも、同じ禅僧でしたから、共通しています。

 悟りを開いた高僧の一休禅師も、どんなことがあっても、何があっても「はい、そうですか」と、あるがままに受け入れ、決して人への批判はしなかったそうです。

 そして、彼の遺書は、「大丈夫、心配するな なんとかなる」という言葉だけで、無責任のようですが、有名な話です。

 白隠さんもそうですが、人の悪口や判断とか批判とかしなかったのは、悟りを開いている禅僧に共通しています。

 これは「大いなる存在」から世の中を見ているために、私達とは視点も、生き方も違うのです。

 彼らの意識は「今、この瞬間」に完全に生きているので、過去や未来の思考や感情は、入る隙間が一切ないのです。

 ですから、何事も判断することなく物事を見ているので、何があっても「はい、そうですか」と、全てをあるがままに受け入れてしまうのです。

 現代であれば、このような人がいたら、ずるい人間が寄ってたかって、悪口を言い、だまそうとしますが、それもすべて何の批判もせずに、受け入れてしまうのです。

 現実に起きる現象は、自分を試すために、仏心=本当の自分が、シナリオを書いて、仕掛けているのだろう?どうせ現実は幻なのだから?くらいにしか思っていなかったのでしょう。

 そんな思考もエゴの考えになるので、彼らは何の判断もしないで、ありのままに受け入れ、ただ傍観していたと思います。

 そんな、馬鹿のつくようなお人好しでも、彼らには誰もが羨望する「真の力」を持っていたのです。

 真実のパワーがなければ、後世に名が残らないと思います。

 真の力とは普遍的で「今この瞬間」に存在するときに内面から湧き出てくるものです。

 その力は、決して他者を支配せず害さない。そして、自分の志を他者に押し付けず、あるがままに物事を見て、けして批評、批判しないのです。

 真の力は、すべてを受け入れ、許容し包み込む。それは、愛そのものなのです。

 この力は、本来はすべての人が持っている力で「今この瞬間」に気づくだけで、誰でもが得られるものなのです。

 自我のエゴに囚われていると「真の力」に気づくには大変かもしれませんが「今、この瞬間」にとどまることができるなら簡単に得られるものです。

 それは、あなたが「大いなる存在」に全てを任せ、自我を手放したときに自然と訪れます。

 江戸時代に天海僧正が、左甚五郎に作らせたという日光東照宮の三匹の猿の彫り物があります。

 「見ざる・聞かざる・言わざる」のお猿さんです。

 このお猿さんは、封建時代は、庶民は不都合なことは見て見ない振り、聞いても聞かない振り、そして何事も黙っている!という表向きの意味がありますが・・・。

 悟りのレベルからみると、自分をあるがままに見るために、とても大切な暗示とも取れるのです。

 108歳まで現役で活躍した南光坊天海さんのことですから、大切なメッセージを込めて作らせたと思います。

 まず、「見ざる」は目を隠して自分の目から見えている世界(幻影の世界)を見ないことで、惑わされずに、人を見て判断せず、音に集中できるため「今」にいることを示唆しています。

 「聞かざる」は耳を閉じて、余分なことを一切聞かないことで、どんな情報も入ってこないので、目の前のことだけに集中できて、「今」にいることが可能になるのです。

 最後の「言わざる」はいくら判断や批判をしたくても、言葉を発することが出来ない状態にして、物事の判断や人の批評・批判をしないことで後悔という罪悪感を持たなくて済みます。

 この三匹のお猿さんの行動を全て合わせ持てば「今、この瞬間」に生きれるので、あるがままの自分に気が付くことができるのです。

 これは、どんなことに対しても、批判や手出しをしないで「あるがまま」に、全てを受け入れて生きることになります。

 そして、「あるがまま」に生きるためには傍観者になり、純粋に物事を見ることにより、不安と恐怖がなくなり安定した状態になるのです。

 悟りを開いた禅僧の生き方になります。

 このメルマガには、命数があります。 ミクロの命数は悟りを開いた僧侶が、後世の人のために、簡単に覚醒できるようにと、意図的なものを感じるのです。

 瞬息⇒弾指⇒刹那の命数があります。「今この瞬間」という観点からも、この命数も、非常に大切になってきます。

 ちなみに刹那の意味は、漢訳では、念になります。念とは、今の心と書きますから、この命数を念じなさい!ということになるのでしょうか。

 仏教に「刹那主義」という言葉があります。現代の「刹那主義」といえば「今さえよければ後はどうなってもいいと思うこと」の意味ですが、本来の「刹那主義」は「一瞬一瞬を 大事にして生きる」 ということです。

 瞬息⇒弾指⇒刹那の命数は、「刹那主義」で、今の瞬間に生きて「本来の自分」と生きなさい!との意図で創られたものだと思います。

 悟り!という言葉は、心の吾れ!ですから、心の中の本当の自分になるということです。

 ですから、心の中の本当の自分と一体化して生きることになります。

 仏教では、思考は現実ではない!と、看破していますが、これは、潜在意識のマナ識に支配されているから、この教えがあるのです。

 ミクロの命数にも、八識と九識があるのに、七識のマナ識がないのです。

 これも、思考は現実ではないから騙されるな!というメッセージなのです。

 私たちの「思考」は、問題を生じさせることが大好きです。
問題が生じていないと「思考」は存在できなくなってしまうからです。

 「思考」は、過去の辛い記憶を掘り起こし、未来への不安を煽り、懸命に問題を生じさせようとします。
 
 無意識になり、思考の奴隷状態になった時は、瞬息⇒弾指⇒刹那の命数を、念じ、今この瞬間に戻り、ここにある本当の自分と生きることを意識するのです。

 エゴの思考はもともと存在していないのですから、翻弄されることもないのです。
 
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まず理解すべきことは、『いま』とは時間の一部ではないということです。

『いま』とはなんでしょうか。それは、この世に時間など存在しないことを見抜いたときに訪れる、『永遠』のことです。

いままでも、そしてこれからも『いま』があるだけで、時間は流れていませんし、そもそも時間など存在していません。

『ここ』とは、すべてがひとつであることを体感したときに広がる、本当の自分の唯一のありさまです。

したがって『いま・ここ』とは、永遠なるもの、ひとつなるもの、宇宙、神、全体、真我(本当の自分)・・・それらを総称した真理そのもののことです。
           
      「さとりの授業」 阿部敏郎

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 ありがとうございました。

 
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