イヤシロ地(癒しろ地)は、作物が良く取れて良いことが起こり運気も良くなる土地なのです。

<第2260回> 2013年12月12日 発行

 日本で多い名字、1位は「佐藤」・2位「鈴木」・・・。漢字一文字では「林」が最多という記事が新聞にありました。 

「佐藤」さんは、北海道と青森県を除いた東北地方の各県でトップと、「北」に多いのが特徴。全国9自治体でトップ!

 「鈴木」さんは、群馬県を除いた関東地方の各県、静岡県、愛知県でトップと、「東」に多いのが特徴。全国8自治体でトップ!

 3位の「高橋」さんは、北海道、東北地方、関東地方、四国地方に多い4位の「田中」さんは、近畿地方、中国・四国地方、九州地方などの11自治体でトップと、「西」に多いのが特徴で、トップの自治体数は「佐藤」さんを上回る!
 
 佐藤 鈴木 斉藤 馬の糞という言葉もありますが、私が以前に名前について書いた文章を紹介します。

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 鈴木、佐藤、斉藤さんなどは、どこにでも転がっている名前なので、馬のクソ!などと、うんざりする名前の対象にもなっています。

 鈴木の「鈴」も「木」も、天からのエネルギーを受ける頭にアンテナのついた最高に縁起の良い漢字ですから、馬のクソ!扱いになっているのは、おかしなことです。

 鈴木さん、佐藤さん、斉藤さん、高橋さん、菅原さんなど、エネルギー的には、素晴らしい文字なのに?

 名誉挽回のためにも、天のエネルギーの正当性とその真相を証明して行きます。

 意外に思うかも知れませんが、鈴木の木というのは、米を収穫した時に、束ねた稲をこの木にぶら下げる中心になる棒のことで、この木を、鈴木と呼んでいたそうです。

 収穫した米を乾燥する役目と、枝もたわわに稔った米に天からのエネルギーを注入する役目になっていたのが、鈴木という名前の木なのです。

 私達の先祖が、鈴なりに稔った黄金の稲を収穫してこの鈴木の木に、黄金の稲の束を鈴なりにぶら提げたのです。

 そして、収穫が終わり、彼らにとっては、この黄金の稲が鈴なりの光景を眺めることは、至福の喜びだったと想像がつきます。

 命をつなぐ、大切に育てたお米に、天からのエネルギーを注入する非常に大切な役割をするのが「鈴木」の木だったのです。

 稲の実がなる時に雷の稲妻からエネルギーを頂き、収穫してからも天からのエネルギーを頂き、稲はパワフルでありがたい食料だったのです。

 ですから、農民(ほとんどの国民)にとっては、鈴木という木はご神木であり、尊い神様のような縁起の良い木であり、鈴木の名前は、誰もが憧れていた名前だったのです。

 もしも、嫌な名前だったら、多くの人がこの名前をつける分けがありません。

 明治時代になり、廃刀令や全国民への苗字許可などで、それまで、名前を持っていなかった大多数の国民が、自分の名前を持つことになり、お寺の和尚さんや、庄屋さんなどに相談して、縁起の良い名前を選んだということです。

 明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に名字を持つことになった。この日にちなんで、2月13日は「名字の日」となっている。
 
 ということですから、鈴木、佐藤、斉藤、など、あまりにも多いので、馬の糞(くそ)やべこ(牛)の糞のように言われていますが、実際は、当時の大多数の国民があこがれて、つけた名前だったのです。

 それとは対照的に、現在、希少価値があるほど珍しい名前に、例えば、「芥川」という名前があります。

 芥川龍之介で有名ですが、現代ならものすごく、聞こえが良くて、素敵な名前と、多くの人が思われるのではないでしょうか?
 
もしも、あなただったら、「鈴木」と 「芥川」という名前を選ぶとしたらどちらを選ぶでしょうか?

 当然ながらも、現代は、馬のクソのように言われている鈴木の名前を選ぶ人は、少ないと思います。

 芥川龍之介の「芥川」ですから、芥川賞もあり、何となく素敵に聞こえます。

 ところが、芥とは、塵(ちり)芥(あくた)の芥です。つまりゴミのことです。

 辞書でも、芥(あくた)は、ごみ。くず。かす。転じて、つまらないもの。と、なっております。

 江戸時代の身分制度の最下層からも除外されていた、穢多・非人(えた・ひにん)という、身分制度から除外された、人間扱いにされていなかった人達がいて、住むところも、橋の下とか、川原とかに決められて、職業も制限されていたのです。

 芥川という地名もありますが、芥川とは、恐らく、ゴミを捨てる汚い川という意味で付けられた名前ですので、穢多・非人(えた・ひにん)が連想されて、当時であれば、誰もがこのような名前を歓迎するはずもありません。

 これは想像の域ですが、明治になってから名前をつけたとすれば、芥川龍之介さんの、おじいさんくらいだと思いますが、本人は不本意ながらも、無理やり強制的に付けられた名前だった、と推察できます。

 自分で勝手に望ましい名前をつける自由も無かったのかも知れません。

 江戸時代から、この名前であれば、その推測は、外れています。

 穢多とは、ケガレ(穢れ)が多いということです。穢土(えど)という言葉がありますが、仏教では、あの世の浄土と比較して、この世を穢土と呼んでいます。

 ケガレ(穢れ)という言葉は、気離れ(氣が離れる)から、気枯れ(氣が枯れる)という説がありますが、いずれにしても、その意味は、氣のエネルギーがなくなり、枯れて死んでしまうことです。

 生命は気が枯れて死んでしまうと、死体になり、それが腐って悪臭を放ったり、ウジ虫が湧いて、様々な病気の原因にもなるので、汚らわしい、穢れ、となって、この言葉が使われたのです。

 木枯れは、木が枯れてしまうことですが、気枯れ(氣が枯れる)は、人の死を意味するもので、昔の人は非常に嫌ったのです。

 汚らわしい・穢らわしい(けがらわしい)とは、自分まで汚れそうで不快な感じがする!という意味になりますから、今でも使われている言葉です。

 ケガレ地(気枯れ地)、イヤシロ地(癒しろ地)という言葉もあります。健康を害する土地をケガレ地(気枯れ地)と言い、その反対の生命の賦活作用がある場所をイヤシロ地(癒しろ地)といいます。

 賦活とは、生命に活力を与えること。物質の機能・作用を活発化することですから、氣のエネルギーがたくさんあれば、活力が与えられて、健康で元気になるのです。

 ケガレ地(気枯れ地)は、健康を害するばかりでなく、作物が取れなく、不運なことばかりが起こる土地のことです。

 そして、その反対にイヤシロ地(癒しろ地)は、作物が良く取れて、良いことが起こり運気も良くなる土地なのです。

 どうでしょうか?氣のエネルギーがあるか否かで、これほどまでに差があるとは、思ってもいなかった人がほとんどではないでしょうか?

 収穫が済んでからの稲に、氣のエネルギーを念入りに注入するのも漢字の形にこだわったのも、ケガレ地(気枯れ地)やイヤシロ地(癒しろ地)という土地を気にするのも、理解して頂けると思います。

 さて、氣のエネルギーについて、氣の文字をもう少し深く分析してみます。

  米+气⇒「氣」になっていますが、气の中の米の文字には、二つの説があります。

 その一つ目は、食べるお米の説で、大昔から米と氣は密接な関係がありました。

 先ほども触れましたが、米作りには雷(かみなり)も必要なものと考えられていました。

 つまり、雷が稲にエネルギーを注入するので、イネに米の実がつく!と考えられていました。

 受粉だけでは、物足りなかったのです。天からの強力なエネルギーがお米の結実には関与している!と思っていたのです。

 ですから、雷(かみなり)の事を「稲妻」(いなづま)とか「稲光」(いなびかり)と、稲の文字が使われているのです。

 さらに、収穫後も、鈴木というエネルギーを集める木に干して、天からの氣のエネルギーを注入するという念の入れ様ですから・・・。

 お米は、他の穀物とは別格扱いで、氣のエネルギーで満ち満ちている、非常に有り難い食べ物だったのです。

 米は五穀の王者であり、米を稲(イネ)とも言うのは、イノチの(根)を「イネ」という説もある程ですから、五穀の中でも、栄養価が高く、そして、日本人の命を支えてきたエネルギー源=命の根でもあったのです。

 イネ=命の根=氣のエネルギー

 米を炊いたときに湯気が出ますが、「あれを氣と言うんだよ!」と、先祖代々継承してきたから、目に見える形で、氣のエネルギーが理解してきたのです。

 ですから、米+气⇒「氣」での气の中の米の字は、稲の米になります。
 
 二つ目の説は、四方八方に放射する!というマンダラ説です。この説になると、气の中の米の文字は、食べる米ではなくて、四方八方に放射している記号になります。

 現代の気の漢字からは、〆+气になり、气の中に、氣のエネルギーを閉じ込める概念になります。

 氣のエネルギーは、天からも地からも四方八方から入ってくるから、四方八方に放射できるのです。

 密教のマンダラは、中心に宇宙を象徴する大日如来という神様がいて、八方に如来や菩薩が位置しています。

 このマンダラをイメージすると、四方八方から天恵が与えられる!ということは、マンダラからは、四方八方にエネルギーが方放射されていることになります。

 世界中の75カ国を巡り歩いて、その国の、古代神を調査された、エハン・デラビィ(パワーかフォースかの翻訳者)さんが言っておりましたが、どの国にも、マンダラと同じ九神が共通しているとのことでした。

太陽系の惑星を象徴しているのかも知れませんし、人類の共通無意識の中にその形が存在しているのかも知れません。

 とにかく、人類の祖先が共通のイメージとして持っていたマンダラが、氣の中にあるというのは、素晴らしいことです。

 私は、これらの二つの説は、二つとも正しいと思っています。

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 ありがとうございました。


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