呼吸は心に左右されておりますが、意思によりコントロールすることも可能なのです。

<第2261回> 2013年12月13日 発行

 「意識の覚醒」

 何をするにも「意識の覚醒」の度合いが、成功と失敗、あるいは合否を決めている!と、確信が深まっています。

 そして、これは、幸せのバロメーターでもあります。

 禅の公案では、微細な音に耳を傾けたり、微細な感覚を研ぎ澄まし、心を浄化して、五感を透りぬけた次元の違う別の世界に至ることができます。

 つまり「意識の覚醒」をするために、心をひじょうに軽やかで微細な状態にするための実践が禅の教えにあるのです。

 その境地に至れば、どんな分野にいても成功の確率が高いので、昔から道を極めたい人は興味を持ち、お弟子さんが出来れば、その方法を伝えたのです。

 ステーブ・ジョブズ氏も出家まで考えていたのですから、ビジネスの世界だって大きな力になるのです。

 この境地に誰もが簡単に近づける方法があるのに、どうしたら気づいてくれるのか? と、模索して、自分がそれを書くしかないだろうと、この1~2か月、実行してきました。

 「純粋な心で決然と実行しなければならない。 そうすれば成果は求めずとも、おのずからやって来る!」

 この様な言葉に従い、とにかく、世の中の多くの人が成功して幸せになるには、今の瞬間に生きて、少しでも微細な世界に近づくことが、先決だと思い、この方法を一人でも多くの人に広めたいと思っております。

 仏陀の教えに、

「ただ自分の呼吸を見守りなさい。呼吸を変えなくてもいい。少しも変えることなく、ただ見守るのだ」というのがあります。

 これは、五感を研ぎ澄まし、注意深く観察しなさい!「見守る」というのは、第三者の視点から観察しなさい!ということだと思います。

 注意深くなればなるほど、呼吸はより長く、より深くなってゆきます。

 そして、これは、呼吸の側からも働きかけることもできるのです。

 ゆっくりと静かに深く長い呼吸をしてゆくと、注意深さが生まれてきます。

 この様に呼吸は心に左右されておりますが、こちらの意思によりコントロールすることも可能なのです。

 息を呑む!とか、ため息をつく!とか、桃色吐息とか息に関する色々な言葉がありますが、息は、自分の心と書くように、呼吸は、心の働きが読めるバロメーターでもあるのです。

 ですから、私達の呼吸は、思考でもあり、感情でもあり、空想でも、妄想でもあるのです。

 呼吸に耳を澄ませなさい。音が聞こえるのは、息が荒いということだ。乱れているのは、息が荒いということだ。感じるだけで音がしなければ、呼吸は穏やかで静かになっている。

 出入りする息の音が聞こえるようではいけない。 聞こえるのは乱れた息である。息が乱れると、たちまち呼吸は荒く、うわついたものになり、伸びやかに広がってゆかない。

 心をひじょうに軽やかで微細な状態にしなければならない。 枷(かせ)を解かれれば解かれるほど、こころの働きは微かすかになり 、微かになればなるほど、こころは静かになってゆく。
 
 ただ自分の呼吸を見守る!というのは、思考も感情もありのままに傍観して、心を静めて、穏やかにしなさい!ということなのです。

 そして、それが、今の瞬間に生きることになるのです。

 ◎心をひじょうに軽やかで微細な状態にする!ということは、禅の公案に共通する禅の教えでもあります。

 微細な状態とは、素粒子の世界になります。

 「瞬息」「弾指」「刹那」 これらは、今の瞬間に入るミクロの命数になります。

 瞬息ですから、こんなにぴったりと当てはまる言葉がこの世の中にあったのか?と、目を疑うほどのシンクロです。

 息(そく)は、速でも、よかったと思いますが、あえて、ここで、息にしたということは、製作者の並々ならぬ意図が伺えるのです。

 しかも、10のマイナス16乗という、電子と同じ素粒子のサイズになります。

 この素粒子の世界では、例えば、電子をサッカーボールに例えると、このボールをゴールに向かって蹴ると、無数のボールがゴールに向かい、ゴールに着いた時は、1個のボールになっている。というような、三次元では考えられない現象が起きるのです。

 ミクロの世界では微細になればなるほど、多次元の世界になるのです。これは、仏陀から始まる禅の教えが追求している微細の世界のことで、心を純粋に浄化することにより、本当に自分に目覚めることができるのです。

 最初に提唱したミクロの命数は、10のマイナス19乗~24乗ですから、これをイメージしただけでも、色々な奇跡が起きたのは、ミクロの世界では、無数の多次元の世界があり、一瞬でも自分が望ましい状態になり、その望ましい状態で、この次元に戻っている!

 上記のサッカーボールのようなことが起きたのです。
 
 例えば、今まで風邪を引いていたのが、一瞬で元気になるのですから、まるで、狐につままれたような状態だったのです。

 そして、降龍は、微細なレベルの微細体にも触れる微細な感覚を研ぎ澄ます実践でもありますから、益々禅の教えの本質の追求になるのです。

 さらに「瞬息」⇒「弾指」⇒「刹那」と、今の瞬間に入り「六徳」で、内奥に入り、潜在意識を浄化し、九識に入り、と、効率的に、実践していけば、だれもが簡単に五感を透りぬけた次元の違う別の世界に至ることができるのです。

 「ミロクの世」の到来を予言しているのは、日月神示なのですが、ミクロの命数も同じ共通点があり、特に「九(こ)の神」とは、ミクロの命数の九識になるように思えるのです。

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「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」

「やがては富士に九(こ)の花咲くのざぞ、見事 富士に此の方が鎮まって、世界治めるのざぞ」

 「誠一つの 九(こ)の花ぞ、 九(こ)の花咲くは 扶ふ 桑そうの山、富士は神山、神住む所、やがて世界の真中ぞ」

 八と九、九と八の 境さかいをひらくことが岩戸を開くことぢゃ」 『扶桑の巻』 第四帖 

「七は成り、八は開くと申してあろうが、八の 隈(くま)からひらきかけるのであるぞ」

 数霊の八の“ひらく”は、 宴うたげが終わる“お開き”の意味と、努力が実る“花開く”の意味を内包している可能性があります。

  最後のことは、九(こ)の神でないと分らんぞ!
 
 八迄と 九・ 十とは性質が違ふのぞ

 難しい言葉を並べてしまいましたが、ミクロの命数に関連した言葉をピックアップしただけですので、御了承ください。

 ここで岩戸開きの影響が本格的に現れるのは八の最後、もしくは九の直前であ ることが明かされています。
 
 これらは「岩戸が開き始めて隠れていたものが現れ始めた」という意味も併せ 持っています。

 この神事を分析している人が、以下のように数霊の序列のことを説明しています。

まず六が在りました。  (1944年6月10日)
他に七が知られていました。 (1994年7月)
次に九を見つけました。 (2016年旧九月八日)
次に十を見つけました。 (2024年旧十月八日)
次に〇を見つけました。 (結びの日)

次に六、七、九、十、〇が順序よく並んでいることに気付きました。最後に「七と九の間には八が在るはずだ」と結論しました。

“数の順序”と“数霊と月の対応関係”を導き出す直接的な契機になりました。

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「八と九、九と八の 境さかいをひらくことが岩戸を開くことぢゃ」 『扶桑の巻』 第四帖 

「七は成り、八は開くと申してあろうが、八の 隈(くま)からひらきかけるのであるぞ」
 
 数霊の八の“ひらく”は、ミクロの命数にある八識を浄化して、七識を清浄にすれば、岩戸を開くことになる、それには九が鍵を握っているです。と、解釈ができます。

 誠一つの 九(こ)の花ぞ!ですから・・・。

 三・六・九⇒三・九・六⇒三・六・九⇒三・九・六の往復で、つまり、ミロク⇒ミクロ⇒ミロク⇒ミクロ⇒ミロク⇒ミクロの往復のイメージで、八識と七識を浄化できて、マナ識の奴隷状態から開放されて、それこそ、潜在能力を顕在化することができるのです。

 ですから、岩戸を開く八は、共通していて、それは、九(こ)の神が、つまり、九識が鍵を握っているのです。

 昭和19年6月10、天之日津久神社に参拝した岡本天命さんに自動書記の現象が起こり、自分の意思に反して何か文字のようなものを書かされるという出来事が起こりました。

 この6月10日というのは、私の誕生日でもあり、6から10まで、つまり、六徳から涅槃寂静まで、透しなさい!1810(イワト)が開けますよ。とのメッセージにも思えるのです。
  
 この日月神示は「この神示(ふで)八通りに読める」と示されているように、色々な解釈ができるのです。

 この日月神示が預言書のように読める人もいれば、人生の指南書として読める人もおります。

 ミクロの命数も、その人によっても色々な解釈ができると思いますが、日月神示で予言しているミロクの世にスムーズに行けるように、岩戸を開くための最適なお手伝のツールとも思われます。
 
 ありがとうございました。


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