「低次の自己」の世界は過去の記憶の世界であり・・・

< 第2277回 > 2014年01月15日 発行

 私というのは、いかにも、はっきり決まった私であるかのように思っておりますが、マナ識の管理下にある私は、たくさんの思考で混乱して、まったく支離滅裂で、明らかではないので、仏教はこれを無明(あきらかでない)といいます。

 人間には個体としての私がない。その代わりにあるのは、分割された小さな数百、数千の私であり、多くの場合に、これらの私は、互いのことを全く知らないのです。

 心の中には一万もの世界があり、それらすべての世界がひとりの人間の内面に存在しているが、人間がそれを意識することはないのです。

 この支離滅裂な自己を「低次の自己」という。

 「低次の自己」は、私たちの内面にあるひとつのまとまった存在ではなく、むしろ私たちの内面にある態度や夢、機械的な習慣、動物的な側面などの集合体だと言えるのです。
 
 「低次の自己」は心の奥にある「高次の自己」を開発することにほとんど関心を抱いておらず、むしろ「神的なるプレゼンス」の意識状態に敵対しています。

 私たちが「現在に存在」してプレゼンス=「今、ここに在る」の意識状態を持続させる積極的な努力をするとき「低次の自己」は、しきりにこの努力を止めさせようします。

 「現在に存在する」意識的な努力で必要となるのは「低次の自己」から生じる絶え間ない無制御な空想の流れ=思考に逆らう闘いなのです。

  寛大なる神への感謝を妨げる三つの危険がある。最初の危険は無意識、無頓着さである。

 二つ目の危険は、自分のエゴまたは「低次の自己」からほとばしり出る好みと欲望の洪水である。

 三つ目の危険は悪い習慣であり、実際には自分を機械的にするあらゆる習慣である。

「低次の自己」は、レベルを超えた人の意識的な覚醒には関心がなく、むしろそれに強く抵抗するのです。

 なぜなら、人が覚醒するとき「低次の自己」は「高次の自己」を眠らせておく力を失い、自らの生命の危険を感じるからです。

 「低次の自己」の世界は、空想の状態(抑制できない心の活動)幻想上の苦しみ、そしてあらゆる物事への過度の執着(自己同一化)を特徴としているのです。

「低次の自己」の世界は過去の記憶の世界であり、未来への心配と恐怖の世界なのです。

 無明の「低次の自己」から光明の世界の「高次の自己」へ

「中今(なかいま)を生きる」という神道から由来する言葉がありますが、その意味は、過去のことを考えず、未来を心配せずに、この一瞬一瞬「今」を生きているということです。 

「高次の自己」をもたらすことは、すべての主要な秘教的な教えと宗教的な教えにおける隠された目的である。

「高次の自己」は、私たちの「真の自己(セルフ)」である。それは私たちの「神聖なる本性」である。それは「内なる神」である。それは「不死」である。

「プレゼンス」の状態をより頻繁に、より深く経験するほど、私たちの「真の自己」はよりはっきりと現れてくる。

 何世紀にもわたって秘教的な文献は、数多くの形で「高次の自己」の経験を説明してきました。

 輝きつつも隠れたる「自己」は心に宿る。それは愛の源泉であり、思考ではなく、愛を通して知ることができる。

「高次の自己」または「内なる神」は眠っている。「想起」とはそれを目覚めさ せるための努力やその状態を示すのです。

 人間は自己想起によってこの眠りから目覚めることができると教えています。

「自己想起」を妨げるのは、頭の中で絶えず巡っている思考である。この回転を止めれば、おそらく「自己想起」の味を経験できるだろう。 

 いつでも、どこでも、自己を想起しなさい。

 一息ごとに「現在に存在」しなさい。一呼吸の間さえも、自分の注意力をさまよわせてはならない。いつでも、どこでも、自己を想起しなさい。

 恒久的な<私>は、すぐには生じない。

 架空の<私>がすべて少しずつ消えていき、主に「自己想起」によって、本当の<私>は徐々に強くなっていくのである。
 
「現在の今に存在すること」は、すべての秘教的な伝統の中心であり、多くの異なる方法で話されている。

それは無言の状態で、言葉は必ずしもそれを記述するのに十分でないために、プレゼンスの各説明は、それの一側面しか示さない。

「プレゼ ンス」のさまざまな象徴は「プレゼンス」の状態を異なる観点から見る方法で ある。

それらは同時に真実であり、共に「プレゼンス」は何であるかということをもっと良く理解する助けになる。

しかし最終的には、人は「プレゼンス」を経験するときにしか本当に理解することができない。

 この世界では忘れてはいけないことが一つある。 他のすべてのことを忘れても、このことだけを忘れないならば、心配する必要はない。 一方、もしあなたがすべてのことを行って、覚えて、一つのことも忘れず、しかしこのことだけを忘れるならば、あなたは何もしていないのと同じである。

              ルーミー

 人生の中で得られるものは一つだけであるが、それはそれぞれの呼吸をもって神を想起することである。
そして人生の中で唯一の喪失は、神を想起しない呼吸である。

             マダニ

 ありがとうございました。



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