深いレベルの感謝の念を持つ時に心が開き有り難い事が起きるのです。
< 第2281回 > 2014年01月20日 発行
ソチ五輪代表の高梨沙羅選手のジャンプをテレビで観戦しました。転倒しても優勝するのですから、前代未聞の選手だと思いました。
私も子供の頃に遊びで、小さなジャンプ台で飛んだ経験がありますが、子供心でも恐怖心は想像以上のものがありました。
飛ぶと言うよりも、崖から飛び降りる!という感覚で、並みの精神力では、その恐怖には勝てません。
10メートル程度しか飛べない小さなジャンプ台でも恐ろしいのですから、100メートル級のジャンプ台となると上に立ったら恐怖心で動くこともできなくなると思います。
飛んでいる時は高揚感がありますが、ちょっとでもミスすると、大怪我や、命の危険にも至りますから、この恐怖感に打ち勝つことが、ジャンプ競技の「鍵」になると思います。
男子の葛西選手がインタビューで「長いこと続けるには何が大切ですか?」という質問に、彼は「自分に勝つこと!」と答えておりました。
彼の「自分に勝つこと」とはジャンプ競技ですから「恐怖感に打ち勝つ」ことだと思います。
高梨沙羅選手は、先日転倒した時、コーチに、はじめて「怖かった」と言ったそうです。
ですから、彼女のジャンプ競技においては、恐怖感が他の選手よりも少ない!ということになります。
彼女には、並外れた克己心があり、この世界では一番に恐怖心がない!ということになります。
女子のジャンプ競技には、20代、30代のベテランの選手がたくさんおりますが、ほとんどの選手が高梨沙羅選手よりも経験もあり、練習も同じようにしていると思いますが、彼女のような結果として、付いて来ないのは、恐怖心に負けているからだと思います。
克己心=自分の欲望をおさえる心。自制心。とありますが、「在るものをそのまま観る」ことは、変化を起す原動力になります。
観るとは、心の中を観ることですから、正しい念を持つことになります。
自分が体験するあらゆることに注意を向けつつも、一切の解釈や判断をしないで、正しい念を持つこと=正念、これは、2500年前の仏教教義にその源流を持つものです。
念とは、今の心と書きます。「正念」とは八正道の一つです。
「正念」とはマインドフルネス(mindfulness)とも英訳されます。
マインドフルネス=「正念」とは、過去や未来ではなく、現在のこの瞬間・瞬間に心をとどめることに努めなさいという仏教の教えでもあります。
心をとどめることとは「気づく」ことです。
これは「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに自覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様」になります。
今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ちかたが、マインドフルネスですから、高梨沙羅選手は、このマインドフルネス=「正念」を実践していているのです。
思考や感情には囚われないでいる心ですから、恐怖心に囚われていないのです。
そして、ジャンプ競技中は、今この瞬間に生きていることになります。
「今この瞬間」には煩悩は、存在していないのです。
普通の選手の意識(心)は、今の瞬間にはいないために過去の「恐ろしい」記憶が浮かんできて、あるいは、転倒したらどうしょう?と、まだ起きてもいない未来を想像して煩悩に囚われ、思い通りの成績が残せないのです。
私達は「今この瞬間」だけを生きています。
私達は、今現在、今ここでしか生きることが出来ません。
例えば、今現在に起きている現実(不幸、病気など)を、「あるがままに、そのままに」受け入れることが出来れば、批判や判断をしないで「在るものをそのまま観る」ことが出来れば、「今この瞬間」だけに生きることが出来るのです。
「サッツ」というジャンプ競技で最も重要な動きであるジャンプ直前の踏み切り動作があります。
この「サッツ」は、それこそ 0、1秒以下の一瞬の反応が必要で、サッツの方向性が失敗と成功を決めてしまうのです。
ですから、その時の風向きや天候にも大きく左右されますが、高梨沙羅選手は、転倒しても優勝するのですから、すべての条件を味方につけているのです。
試合後のインタビューでも、常に深い感謝をしておりますから、その点でも好感が持てます。
気づく→ありがたい→有り難い→有り得ない奇跡が起きる!
気づきと共に、畏敬の念と感謝の念が同時に起こり、深いレベルの感謝の念を持つ時に心が開きますから有り難い事が起きるのです。
「マインドフルネス」というのは、その言葉通り「心を今で満たす」ことに他ならないのです。
再度書きますが、今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情に囚われないでいる心の持ちかたをマインドフルネスといいます。
つまり、マインドフルネスとは、現実をありのままに受け入れ今現在の感情、思考、呼吸などの身体感覚にも意識を集中して気づき、一切の批評や反応をしないのです。
自分の考えをただ開放し「放っておく」という説明もあります。批判や、判断や裁きを伴わない観察です。
過去を恨み、未来を恐れるのは人の常ですから、過去の習慣に従っている状態では、いつまで経っても現実に変化を起す原動力にはならないのです。
高梨沙羅選手を見習い、「在るものをそのまま観る」ことに徹して、そのた正念を変化を起す原動力にしてください。
もう少し、追加して。
沙羅ちゃんの羅は、九識の阿摩羅の羅でもあります。
阿摩羅の、「阿」は、宇宙の始まり・真実と言う意味。「魔」は、光るという意味で、「羅」は、曼荼羅の羅で 、森羅万象すべてを網羅しているという意味になります。
すべての成功と幸福の秘訣は生命と一つになること、それは生命体の根源である九識の阿摩羅に至り、一つになることです。
九識の「阿摩羅識」のエネルギーは万物を生み出す「智慧」の生命エネルギーが湧き出る源でもあります。
沙羅ちゃんは、九識の「阿摩羅識」につながっているのかも知れません。
ありがとうございました。
ソチ五輪代表の高梨沙羅選手のジャンプをテレビで観戦しました。転倒しても優勝するのですから、前代未聞の選手だと思いました。
私も子供の頃に遊びで、小さなジャンプ台で飛んだ経験がありますが、子供心でも恐怖心は想像以上のものがありました。
飛ぶと言うよりも、崖から飛び降りる!という感覚で、並みの精神力では、その恐怖には勝てません。
10メートル程度しか飛べない小さなジャンプ台でも恐ろしいのですから、100メートル級のジャンプ台となると上に立ったら恐怖心で動くこともできなくなると思います。
飛んでいる時は高揚感がありますが、ちょっとでもミスすると、大怪我や、命の危険にも至りますから、この恐怖感に打ち勝つことが、ジャンプ競技の「鍵」になると思います。
男子の葛西選手がインタビューで「長いこと続けるには何が大切ですか?」という質問に、彼は「自分に勝つこと!」と答えておりました。
彼の「自分に勝つこと」とはジャンプ競技ですから「恐怖感に打ち勝つ」ことだと思います。
高梨沙羅選手は、先日転倒した時、コーチに、はじめて「怖かった」と言ったそうです。
ですから、彼女のジャンプ競技においては、恐怖感が他の選手よりも少ない!ということになります。
彼女には、並外れた克己心があり、この世界では一番に恐怖心がない!ということになります。
女子のジャンプ競技には、20代、30代のベテランの選手がたくさんおりますが、ほとんどの選手が高梨沙羅選手よりも経験もあり、練習も同じようにしていると思いますが、彼女のような結果として、付いて来ないのは、恐怖心に負けているからだと思います。
克己心=自分の欲望をおさえる心。自制心。とありますが、「在るものをそのまま観る」ことは、変化を起す原動力になります。
観るとは、心の中を観ることですから、正しい念を持つことになります。
自分が体験するあらゆることに注意を向けつつも、一切の解釈や判断をしないで、正しい念を持つこと=正念、これは、2500年前の仏教教義にその源流を持つものです。
念とは、今の心と書きます。「正念」とは八正道の一つです。
「正念」とはマインドフルネス(mindfulness)とも英訳されます。
マインドフルネス=「正念」とは、過去や未来ではなく、現在のこの瞬間・瞬間に心をとどめることに努めなさいという仏教の教えでもあります。
心をとどめることとは「気づく」ことです。
これは「今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに自覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ち方、存在の有様」になります。
今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情には囚われないでいる心の持ちかたが、マインドフルネスですから、高梨沙羅選手は、このマインドフルネス=「正念」を実践していているのです。
思考や感情には囚われないでいる心ですから、恐怖心に囚われていないのです。
そして、ジャンプ競技中は、今この瞬間に生きていることになります。
「今この瞬間」には煩悩は、存在していないのです。
普通の選手の意識(心)は、今の瞬間にはいないために過去の「恐ろしい」記憶が浮かんできて、あるいは、転倒したらどうしょう?と、まだ起きてもいない未来を想像して煩悩に囚われ、思い通りの成績が残せないのです。
私達は「今この瞬間」だけを生きています。
私達は、今現在、今ここでしか生きることが出来ません。
例えば、今現在に起きている現実(不幸、病気など)を、「あるがままに、そのままに」受け入れることが出来れば、批判や判断をしないで「在るものをそのまま観る」ことが出来れば、「今この瞬間」だけに生きることが出来るのです。
「サッツ」というジャンプ競技で最も重要な動きであるジャンプ直前の踏み切り動作があります。
この「サッツ」は、それこそ 0、1秒以下の一瞬の反応が必要で、サッツの方向性が失敗と成功を決めてしまうのです。
ですから、その時の風向きや天候にも大きく左右されますが、高梨沙羅選手は、転倒しても優勝するのですから、すべての条件を味方につけているのです。
試合後のインタビューでも、常に深い感謝をしておりますから、その点でも好感が持てます。
気づく→ありがたい→有り難い→有り得ない奇跡が起きる!
気づきと共に、畏敬の念と感謝の念が同時に起こり、深いレベルの感謝の念を持つ時に心が開きますから有り難い事が起きるのです。
「マインドフルネス」というのは、その言葉通り「心を今で満たす」ことに他ならないのです。
再度書きますが、今の瞬間の現実に常に気づきを向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情に囚われないでいる心の持ちかたをマインドフルネスといいます。
つまり、マインドフルネスとは、現実をありのままに受け入れ今現在の感情、思考、呼吸などの身体感覚にも意識を集中して気づき、一切の批評や反応をしないのです。
自分の考えをただ開放し「放っておく」という説明もあります。批判や、判断や裁きを伴わない観察です。
過去を恨み、未来を恐れるのは人の常ですから、過去の習慣に従っている状態では、いつまで経っても現実に変化を起す原動力にはならないのです。
高梨沙羅選手を見習い、「在るものをそのまま観る」ことに徹して、そのた正念を変化を起す原動力にしてください。
もう少し、追加して。
沙羅ちゃんの羅は、九識の阿摩羅の羅でもあります。
阿摩羅の、「阿」は、宇宙の始まり・真実と言う意味。「魔」は、光るという意味で、「羅」は、曼荼羅の羅で 、森羅万象すべてを網羅しているという意味になります。
すべての成功と幸福の秘訣は生命と一つになること、それは生命体の根源である九識の阿摩羅に至り、一つになることです。
九識の「阿摩羅識」のエネルギーは万物を生み出す「智慧」の生命エネルギーが湧き出る源でもあります。
沙羅ちゃんは、九識の「阿摩羅識」につながっているのかも知れません。
ありがとうございました。
スポンサーサイト