ここぞという肝心な時にも自我はほとんど滅却することができるのです。

< 第2308回 > 2014年02月21日 発行

・ミクロの命数を、多くの人に知ってもらうために電子書籍を発行しました。

 『幸せに至るクォンタムの世界』105円です。

  http://www.digbook.jp/product_info.php/products_id/17758

 こんな簡単な方法で、誰でも至福感に至るのですから、一人でも多くの人に読んでもらえると幸甚です。

 21日の空海の日に承認がおりるのもシンクロなのかも知れません。 

 ところで、真央ちゃんの笑顔は晴れ晴れとしていました。フリーの演技では本当の力を発揮できて、やり切った感というのか、満足感というのか、とにかく、結果云々よりも演技以上の彼女の心の奥にある「心の花」を感じました。

 「初心忘るべからず」という言葉がマスコミに出ていましたが、この言葉を残したのは、世阿弥です。

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 若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。

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 世阿弥の能の世界も、観客の前で、曲に合わせての演技ですから共通するものがあります。

 能は、舞台の一曲(演目)の全体を通じて高い集中を維持したまま、全体を通じて途切れることなく観客との心を繋ぎ止める芸能です。

 フィギアスケートも、スケートリンクという舞台で、曲に合わせて、観客の前で演技をするのですから、それが極めれば同じ芸道という「道」のレベルまで高まり、観客との心は一体となり、深い感動に至るのです。

 『風姿花伝』には、

「全ての技や経験を極めた先になお、揺るぎない花がある」それは「心の花」で「達人」のみが咲かせられる花である。

 と、ありますから、真央ちゃんにも、技や経験を極めた先の「心の花」がありました。

 まだまだ、揺るぎない花とは言えないまでも、多くの観衆を魅了する天才スケーターの素晴らしい演技には競技を超越した「心の花」を観ることができました。

 感動をありがとう!そして、お疲れ様でした。

 さて、世阿弥は、禅を極め、無心を体得し、その境地において舞台で舞った。その『伝書』は、宗教(禅)と芸術(能)の根源的な一致を物語る!

 と、600年後の現在においても、彼の作品は評価されております。その中でも、いかに「無心」という境地が大切なことがわかります。

 『風姿花伝』など、世阿弥が残した『伝書』が、多くの人に読まれ出したのは、20世紀に入った明治42年に、吉田東伍が学会に発表してからで、それまで「秘伝書」として、その存在すらほとんど知られていなかったそうです。

「無心の位にて、我心をわれにも隠す安心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし」。

 (演者はみずから無心無我の境地にはいり、自分の配慮を自分でも意識しないほど深く演技に集中し、その集中力によって技芸の間隙の前後をつなぐようにするべきである)(山崎正和氏訳)

 世阿弥は彼の本の中に書いております。
 
 そして、世阿弥はこの「無心」を「一心」と言い換えており、「これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり」。と強調しております。

 すべての技芸の根底において貫く「一心」が、そのまま「無心」なのであって、万能を一心にてつなぐ感力なり!とは・・・。

 ミクロの命数の降龍の実践の時に「一心」と声を出すことにより心が一つにまとまり、より深く微細なレベルに到達し、より効果的に無心の状態になるように感じます。
 
 スポーツでも芸能でも、一般の私達の生活でも、何事も思い通りにならなくて、苦しみの原因になるのは自我や我心があるからです。

 自我や我心を出来るだけなくして、つまり「有心」を滅却し切り、無心無我の境地にはいれば、すべての苦悩から開放されて万能になる!のですから、それは、世阿弥の教えでも根本にあるものです。
 
 ミクロの命数は、自我や我心を微細なレベルに導き「一心」にまとめる働きがあります。

 例えば、普通の時は、10ある自我や我心は、ここぞという肝心な時に100にも、1000にもなって暴れ出し、自分が自分ではなくなるのです。

 ところが、平常心を10とすれば、それを10分の1、さらにその10分の1、さらに、さらに、その10分の1と、これを、19回も、20回も10分の1ずつ縮小してしていけば、自我はほとんど無くなります。

 ミクロの命数で、このような実践を繰り返していれば、ここぞという肝心な時にも、自我はほとんど滅却することができるのです。

 万能を一心にてつなぐ感力なり!となるのです。
 
 ミクロの命数は、自我を微細なレベルに縮小して、限りなくゼロに、つまり無心に近づく実践なのです。

 ミクロのレベルの量子の世界までも微細なレベルに縮小する練習は、禅の修業にも匹敵するものなのです。

 
  『ミクロの命数の奥義』降龍・昇龍編
  「クォンタム・ミラクル」  500円
 
  ・『幸せ文庫』

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 ありがとうございました。


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