ゾーンに入るとサッカーでもバスケットでも相手がスローモーションに見えてくる・・・

< 第2329回 > 2014年03月18日 発行

 先日、テレビで宮本武蔵を見ました。大学の頃に吉川栄治の小説は、ワクワクしながら読んだので、興味深く見せてもらいました。

 その中で、武蔵が柳生の里に行き、柳生石舟斎に会うことができて、武蔵が試合に勝つ秘訣を質問するのですが、石舟斎は「聞こえない音を聞け!」と、答えていました。

 吉川英治の原作では、武蔵は柳生石舟斉の家までは行くのですが、その門に「鳥の歌を聞け」と、書いてあったのです。

 武蔵はそれを見て、唖然とします。
 
「柳生石舟斉というヤツは、俺とは住む世界が違う・・」そして、武蔵は、門すらたたけずに、その場を離れます。
 
 しかし、武蔵は、その詩が頭から離れません。そして、その意味について、自分で解釈して、ある日気づくのです。

////////////

 その気づきは、無心になり五感を研ぎ澄まし「今この瞬間」に生きろ!と言うことだと思います。

 柳生は「剣禅一如」ですから、武蔵も禅の境地に至ったことと思います。 しかし、若い頃の武蔵の生きかたは、仏教の教えや、日本人の心情に合わないものもあります。
 
 小説ですから、面白おかしく脚色しているのでしょう。

 このドラマの中で武蔵に「聞こえない音を聞け!」と、教えた石舟斎は、家康公に「真剣白刃取り」を見せたところ、家康公がこの妙技に感嘆し、弟子入りして、その後、将軍家の剣術指南役をするようになったという逸話があります。

「真剣白刃取り」は、物理的には出来ない!と、科学的には不可能となっておりますが・・・。
 
 無心の境地の状態では、時間が止まり、相手がスローモーションの映像のように見えるので、可能になります。

 この状態をスポーツの世界では『ゾーン』に入るといいます。

 『ゾーン』に入るとは、極度に集中した精神の状態のことです。『フロー状態』とも言います。

 極度に集中した状態では、次元を超えた無の世界に入るので時間の流れが遅くなり、ものすごい力を発揮できる場になるのです。

 これは、意識はしっかり覚醒して、情熱的に何かに取り組んでいる状態に起きます。

 ゾーンに入ると、サッカーでも、バスケットでも、相手がスローモーションに見えてくるので、奇跡的なゴールが簡単にできてしまうのです。

 野球でも投手の投げた速いボールが止まって見えるといいますから、共通しています。

 スポーツを通じて体得できる「無念無相」の境地は知恵を通して得られる知性とは違うので「論理的思考」とは次元の違うものです。

 音楽を聴くとゾーンに入りやすくなる人もいるので、聴覚と関連があるように思います。

 柳生石舟斉の家の門に「鳥の歌を聞け」と、書いてあった言葉に武蔵は禅問答のように深めて、気づきに至ったのも、本能的なものがあったと思います。

 白隠禅師の「隻手の音声」の考案は、同じ江戸時代でも100年以上もあとのことになりますが、同じ禅なので「聞こえない音を聞け!」は、混同していると思いました。

 ドラマの話題が前後しますが、暴れる武蔵を木に縛りつけて、姫路城の天守閣の牢獄に幽閉したのは沢庵禅師です。

 漬物の「たくわん」を考案したといわれる沢庵禅師は、徳川将軍の剣術師範・柳生宗矩に書き与えた「不動智神明録」で、無心の大切さを説いています。

 「無心の心と申すは、固まり定まりたる事なく、分別も思案も何も無き時の心、総身にのびひろごりて、全体に行き渡る心を無心と申す也。

 どこにも置かぬ心なり。石か木かのようにてはなし。留まる所なきを無心と申す也」と言い、留まる心、執着の心を戒めています。

 中村天風の「君だって、ここまでやれる!」という本に沢庵禅師の逸話があります。

////////////

三代将軍家光が、まだ将軍になって間もない頃のことである。朝鮮からの貢ぎ物の中に、日本人がはじめて見る虎があった。

堅固な檻に入れられた虎が江戸城内に運ばれ、将軍の御覧に供せられることになった。

初めて見る猛虎に、若き家光は背筋に冷たいものを感じながらも、嬉しさを隠そうとはしなかった。日を定めて集まるようにとの御触れを大名、旗本に出した。

「今日の催しは、朝鮮国渡来の虎の檻に人間を入れる。さよう心得よ」と家光は一座を見渡した。やおら傍らに控えた柳生但馬守を振り返り、「但馬、そちが入ってみよ」と言った。但馬守は、うやうやしく一礼して悠然と立ち上がった。

 手早くたすきをかけ、門弟に目配せすると、お城の道場から急ぎ運ばせたアカガシの木剣を手に、虎の檻へと近寄る。

 一同は息をのんで見つめる。檻の番の者に、開けろと命じて、但馬守はヒラリと檻に入った。なにしろ相手は猛獣である。一瞬たりとも気合を緩められない。

虎は獲物にとびかかろうと牙を剥いている。但馬守は木剣を中断に構えて、わが身をかばいながらジリッ、ジリッと進むと、剣勢に押されて虎は後ろへ引く。檻のすみに虎を追い詰めていった。

「但馬、もうよかろう」と、将軍は言った。但馬守は体勢を崩すことなく、小刻みに後退する。檻の戸のところまで来ると、開けろとそのまま声をかけ、構えたまま外に出る。

 但馬守の体は脂汗でぬぐわれたようになっている。居並ぶものの間から喝采が湧き起こった。但馬守は面目をほどこして座にもどる。柳生但馬守の積極性は溌剌颯爽としたものである。

「もう一人、入れる」と家光は一座を見渡した。一同は視線を避けようとする。

 後ろに控える沢庵禅師に、「どうじゃ、禅師、御身ひとつ入ってみるか」と言った。辞退するだろうと家光は内心思っている。すると沢庵はにっこり笑って、立ち上がり、片手に数珠を下げてフラフラと檻のほうに歩いていく。

 但馬守と違ってすきだらけである。檻の番の者が、手早く戸を開けると、沢庵はそろそろと中に入っていく。

虎は飛びかかるかと思うと、さにあらず、沢庵の衣のすその周りにまつわりつく。足元に横になって、のどをゴロゴロ鳴らしている。まるで飼い馴らされた猫のようである。

いちばん驚いたのが家光である。

「もうよかろう、禅師」「さようか。おとなしくしておれ、また来るでな」と虎に言い渡すと、くるりと背を向けて檻を出てくる。汗ひとつかいていない。

 家光は問う。

「但馬、そちはいかなる心構えにて虎の檻に打ち入りしか」「柳生流の真の気合をもって攻めつけましてございます」

「沢庵禅師、御身は」「何の存念もございません。愚僧は仏道に精進いたすもの。虎といえども仏性あり。慈悲の心をもって接したまででござる」

 幼少の天風は、この講談を聞いて、沢庵というのは虎の怖さを知らぬ馬鹿者だと思ったという。しかし理解が進むにつれて、沢庵の偉さがわかるようになる。

 沢庵は虚心平気(心が虚で、気が平という状態)になっていたから、虎との争いがなかった。沢庵の心は絶対積極の境地にあったと気づく。それは天風が、恩師頭山満に見出し、あこがれた境地と同じものであった。

////////////

 柳生宗矩の姿勢は「主客対立」。まさに対決の姿勢であり、相手を気にし、負けまい、犯されまいと、常に相手に動かされているのです。

 沢庵和尚の姿勢は「主客融合」。彼を我に摂取し、我を対境に没入する、彼は、32歳のときに大悟を得ているので、真実の世界に入っていたのです。

 沢庵和尚は、柳生宗矩の求めに応じ、剣禅一味(剣禅一如)の境地を説きました。この境地を記した『不動智神妙録』は、禅を以て武道の極意を説いた最初の書物であり、武術から武道への流れを開く端緒のひとつになりました。

 なお、吉川英治作の小説『宮本武蔵』では武蔵を諭すキーパーソン的な役割を担っていますが、史実において武蔵と沢庵和尚の間に接触のあった記録は無いそうです。

 吉川英治氏も「武蔵と沢庵和尚の出会いは、自身による創作である」と明言しています。

 心が穏やかになると、いまこの瞬間にいることができます。

 『ミクロの命数の奥義』降龍・昇龍編
   「クォンタム・ミラクル」
 

 ありがとうございました。 



スポンサーサイト
☆プロフィール

angel

  • Author:angel
  • 当ブログは、「S氏の能力開発」メルマガを掲載しております。
ホ・オポノポノ
ホ・オポノポノツール

★4つの魔法の言葉

   

   
あやこ関野&バシャール
★パラレルワールドを移行

   

   
☆おすすめ書籍


   

   

   

   

   

   

      

☆最近の記事