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祈りの言葉をインドの古い言葉(サンスクリット語)で「マントラ」と言います。

◎富、豊かさ  その8

 ・ビジネスの成功 ・願望の達成!

~~~~~
このジャンルは、今回で最終になります。

 前回の続きになりますが、東京オリンピック・パラリンピックが、3年後にあります。

 3年後の成功した自分の姿をありありとイメージするのは、これまでの他人の成功を願う!というのと矛盾しておりますが・・・。

 この3年後の自分の成功というのは、既成概念を脳に植え付ける!という狙いで、長期的なイメージになります。

 一般に脳は、体験のないことは受け入れない!という傾向にあり未経験のことには拒絶反応をします。

 それは、恐れでもあり、エゴの働きでもあるのですが、成功体験をありありとイメージすることにより、たとえそれが仮想でも、脳はリアルに体験したことになるのです。

 ですから、このイメージは長期的な願望になります。

 3年後の自分の望ましい姿、その環境、空気感、そして、その時の喜びや嬉しさの感情も、ありありとイメージするのです。

 仮想の体験でも、脳は、現実の体験としてとらえますから、成功に対する抵抗がなくなり、受け入れてくれるのです。

 自分なんて、成功するわけがない!自分に限ってそんな事は絶対にありえない!と、普段からエゴが耳元でささやき、洗脳していますからこの慣れ切ったエゴの隷属から脱却するためにも、このイメージは大切なのです。

 短期的な普段のイメージや成功願望は、ひたすらに、下の人の成功を願い続けます。

 例えば、下の人に、1人→10人→100人と付いて、グループが拡大し感謝します。ありがとうございました。と、紙に書いて、寝る前に10回くらい声に出して、心から感謝するのです。
 
 そして、エゴの支配の壁を破るために能望の実践を継続します。

 ○自我のエゴが好きなものを挙げてみます。
======== 
・自我のエゴは、理屈や議論が好きで、常に対立意識を持ち争いを好む。

・自我のエゴは、判断や批判が好きで、レッテルを貼り、物事に意味づけをする。

・自我のエゴは、常に不平不満を持ち、人の悪口や他人の不幸が大好きである。

・自我のエゴは、外に起きる出来事にしか関心を持たず、過去を悔やみ未来を憂うの好きである。  

・自我のエゴは、怒り、恐怖、苦しみ、悲しみなどのネガティブな感情を好み、 これらのエネルギーを糧としている。  

・自我のエゴは、大きいこと、限りのない欲望、常に○○したい!という計らいが好きである。  

・自我のエゴは、物事を善か悪か、好きか嫌いか、勝ちか負けか、二極に分ける ことが好きである。

・自我のエゴは、あれもこれも心が定まらず、混乱しているのが好きである。

・自我のエゴは、信念や固定観念、執着することが好きである。   

 上記の性質から自我のエゴの弱点を読み取ってください。    

 自我のエゴの性質は、まだあると思いますが、このような性質を良く理解して、少しでも長く自我のエゴから解放される時間をキープするのです。
========.

 ところで、『般若心経』は、エゴの支配から脱却する素晴らしい経典ですので、参考までに付け加えます。

 これは、空を説いた経典(解説書)という説と、真言(マントラ)を使った瞑想のツールであるという2つの見解があります。

 この『般若心経』は、日本でも先祖代々、日々のおつとめに、巡礼の口ずさみに、死者や祖先の供養に、あるいは願(がん)かけの祈りにと、読み継がれ、書写し継がれてきました。

 絶大な効果があるから、2000年近くも連綿と受け継がれてきたのでしょう。

 祈りの言葉をインドの古い言葉(サンスクリット語)で「マントラ」と言います。翻訳すると、「真言(しんごん)」です。

 ところで、仏教の根本命題は、「一切は苦」であり、人間は本質的に「思いのままにならない」という苦が根本にあり、人生は、「四苦八苦」の連続であるから、その苦からの解放が、仏教の目的でもあります。

 この一切の苦からの解放の具体的な方法を教えてくれるのが、『般若心経』なのです。

 『般若心経』は、舎利子(しゃりし)という名の出家修行者が、悟りを開いた観自在菩薩に教えを乞うという展開になっています。

 その中で、観自在菩薩は、「一切の苦厄を度したもうた」。つまり、あらゆる苦・災厄から離脱した。と言っているのです。

 これは、仏教の実践的目標であり、かつ究極の救いを端的に示した、この一文にこそ、般若心経の聖典としての真価と人気の秘密があると思います。

 般若心経は、難解で、多くの解説がありますが、普通の人が読んでもすぐには理解できないと思います。

 これは、4階建ての建物に例えての説明がわかりやすいと思います。 

 一階は、幼児レベル

 二階は、世間一般のレベル

 三階が舎利子のいるレベル

 四階が観自在菩薩のレベル

 このように、意識のレベルが違うために、二階の世間一般のレベルにいる普通の人が読んでも、意味不明になるのです。

 修行の進んでいる舎利子の三階から見れば、世間一般のレベルの二階は苦悩に満ちた世界です。

 二階において「自己の確立」は大切な徳目だったのですが、それを三階から見れば、「自己の執着」にほかなりません。

 それがあらゆる苦悩の原因であることが、三階に至った人には、はっきりわかるのです。

 でも、それは三階から見て二階を否定することではなく、ただ二階を通り過ぎるということなのです。

 どの階もなくてはならず、どの階にもそれぞれの意義があります。そして、上の階に行くためには、やはり一階ずつ順に昇っていかなくてはなりません。

 般若心経の本文の中に「遠離(おんり)」という言葉が出てきます。これは「超越する」という意味ですが、この原語を直訳すれば「階段を昇りきっている」という意味になります。

 観自在菩薩は、四階にいますから、階段を昇りきったのです。 

 観自在菩薩は、般若心経の真言を念誦する瞑想をして、その結果、眺めのよい四階の境地に達したのです。もちろん、それは「自分自身を知る」修行のプロセスにもなります。

 観自在とは文字通りに「観ること自在」という意味ですが、この菩薩は別名を「観世音(かんぜおん)と言い、略して「観音(かんのん)」と呼ばれます。

 観音菩薩は、仏教史上、あらゆる地域で最も人気のある菩薩として信仰を集めてきました。

 「観ること自在」という名の通り、観ることとは心の中でイメージすること、そして、この菩薩が得た境地は、偉大なるマントラを唱えて、高みなる次元に到達できたのです。

  その結果、「一切の苦を除く」ことができたのです。

 日常の私たちの心は、時間に縛られ、空間に縛られ、世間のありとあらゆる習慣や状況や知識に縛られていて、あたかも頑丈な檻に閉ざされているかのようです。

 この奴隷のように縛られて、頑丈な檻に閉ざされている状態から解放される手立てが、偉大なるマントラを唱えることだと観音菩薩が教えてくれているのです。

 二階の苦悩に満ちた世界に生きている私たちは、「思いのままにならない」という苦から解放出来るように、四階の教えに素直に耳を傾けるのが賢明かと思います。

  般若心経の真言とは・・・。

  ・掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、薩婆賀。

 「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー バァーディ スヴァーハー」です。

 この真言と同様に、苦から解放されるのが能望の実践です。

 私は、能望の実践に飽きたら、般若心経の真言を唱えております。

 般若心経の真言も、能望の実践も、継続することをエゴが嫌いますから、その効果は、それだけなのかもしれません。

 それでも、自我のエゴは、理屈や議論が好きですから、納得してもらうためにも書いてみました。
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ありがとうございました。

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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
 バックナンバーはこちらからご覧下さい。
  http://archives.mag2.com/0000115502/index.html?l=bvo0f0393f

ありがとうございました。
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