今に生きること、それが五次元の全てと言っても過言ではありません。


 前回は酵素から、素粒子、そして、ミクロの命数まで発展しましたが、問題は、3次元から5次元の世界に入ることができるか?

 そして、「今・ここ」の状態に入ることができるか?

 さらに、現実の悩みや苦しみの元凶にたどり着き、ピンポイントでその波動を変えていく!ということです。

これで、高い確率で、あらゆる悩みが解決することになります。

 そして、病気や老化に関しては酵素が鍵を握っているのですが、それでも70%~80%の確率で悩みの解消が可能かと思います。

 基本は、5次元の意識に入ることですが「喜びに満ちた心」と「利己心からの解放」が、5次元のキーポイントになりますから、「能望」の実践が、基本になります。

 周波数を上げ、意識を拡大し「今」に生きているという自覚が強くなっていくためには、五次元への入口にたどりつくことが条件になります。

 意識レベルが最低でも200以上になるためにも、エネルギーレベルを高めるためには、誰もが簡単にできるのは「能望」の実践かスワイショウなどの継続が必要なのです。

 エゴの意識から脱却しなければ、何に取り組んでも、エゴに邪魔をされて元の木阿弥になります。

 五次元の意識では、奇跡が普通のことなので、特にびっくりしなくなります。現実化も早くなります。シンクロニシティや不思議な出来事も毎日のように起こります。

 五次元とは、三次元的な時間・場所のように確固としたものではなく、ほんの一瞬の感覚なのですが、いかにそこに留まるかという点がポイントになります。

 半年~1年の「能望」の実践の継続で、意識が変わり、五次元への入口に至ることができます。

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 喜びに満ちた心を持ち、穏やかで、あらゆる努めを果たす心構えのできている人は、利己心から解放されています。

 そのような人の心の中に退屈や疲労感が入ってくることはできません。そして、その心の強さによってあらゆる重荷は軽くなり、重さを感じないほどになります。

 あなたは、鎖をからみつけさせた状態のままで逃げ出そうとしてはいけません。自分を縛る鎖を壊して、自由になりましょう。
             ジェームズ アレン
~~~~~

 そして、「今・ここ」の状態に入ることができるか?という命題ですが、五次元への入口に至ると、並行してこの感覚になってきます。

 過去と未来は、現在の中にあります。今に生きること、それが五次元の全てと言っても過言ではありません。

 前回でも触れましたが、ミクロの命数には、⇒瞬息(しゅんそく)⇒弾指(だんし )⇒刹那(せつな)という、10のマイナス16乗~18乗の素粒子サイズの単位があります。

 この命数を声に出したり、思うことで、1京分の1秒⇒10京分の1秒⇒100京分の1秒と、意識が、この瞬間の世界に入って行けるのです。 

 ある程度の練習は必要ですが、このミクロの命数を理解するだけで、意識を素粒子のレベルまで静めることができるのです。

 ミクロの命数とは、仏教の数の最小の単位のことですが、次元を越えた極微の素粒子、人類共通の無意識、DNAとの関連、心の浄化、純粋な意識、慈愛や至福の境地、悟りに至る手法 等々、これらのすべてが、ミクロの命数に含有されているのです。
 
 今の瞬間、瞬間に自分の心を開けば、必要なものは必要な瞬間に全てが与えられるのです。

 天才達は、今の瞬間に生きているから、多くの天恵が与えられているのです。

 今の瞬間に生きると、時間を超越して、不可能が可能になりますから、神がかり的な奇跡が起きるのです。

 神が光臨する!という言葉がありますが、神の領域とは、たった今のこの瞬間の領域のことで、その瞬間に生きると、まるで、万能の神と一体化するごとく超人になれるのです。

 名人や達人は、弓の名人も、武術の達人も、心を深層まで静め、時間を超越して、今の瞬間に生きることができたから、奇跡の名人業や神業になったのです。

 例えば、「真剣白刃取り」という技があります。振り下ろした刀を素手で挟み取る技ですから、物理的には不可能な技ということです。

 けれども、相手の振り下ろす刀が、スローモーションのように見えたら、いくら真剣でも、素手でとれることが可能になります。

 剣の名人は天才でもありますから、瞬間に生きることが、無意識にできて、このような物理的には不可能な技を実現していたのでしょう。

 芸術やスポーツの分野だけではなく、あらゆる分野で今の瞬間に生きている天才達は、神がかり的な活躍をしております。

 それに比べて、私達凡人は、天才とは違って、今の瞬間には生きてはいません。いつも「心は過去か未来で、ここにあらず!」という状態なのです。

 宇宙には、今のこの瞬間しかないのに、私達は本当の今の世界には生きていないのです。

 厳密に分析すると、私達が現実に経験しているのは、今のこの瞬間における真実の世界ではありません。

 なぜなら、過去の記憶が私達の今の現実の経験に押し入って支配しているのです。

 膨大な過去の記憶から 様々な妄念が浮かび上り、多くの人が「今ここ」に自分がいなくなっているのです。

 私達は、常に左脳の過去の記憶やマナ識の支配下にあり、真実の世界には生きることなく、余計なものに振り回された奴隷のままで人生を送っているのです。
 
 天才と呼ばれているアスリートも、スランプの時は私達と同じ状態に陥ります。

 過去の記憶の渦に巻き込まれ、マナ識の奴隷になり、ズルズルと悪い現実を招き入れ、成績もどんどん悪くなるのです。

 まさか、あの偉大な選手が?と、思われるくらい、まるで別人のようにダメになり、どん底のスランプ状態になってしまうのです。

 私達も「今・ここ」に自分がいなくなっているので、天才アスリートのスランプ状態と同じダメになっているのです。

 ですから、いかに、今の瞬間に生きることが大切かがわかります。

 余計なものを取り払って、その瞬間だけを生きる様になると、これまでのように時間に縛られる生活から離脱できるようになってきます。

 天才のように、誰もがかんたんに今の瞬間に生きるためのツールが、ミクロの命数です。

 特に、極微の最小の三つの命数を説明するには、心の深層意識の構造を説明したほうがより理解が深まります。

 心の認識として五感の眼識・耳識・鼻識・舌識・身識(触識)に意識を加えて六識があります。

 その下には深層意識である第七識の「末那識」(まなしき)があります。

 末那識とは自分のことしか考えない自我であり、エゴであり、寝てもさめても自分に執着し続ける心であり、迷いの心、煩悩の心になります。

 実は、私達の感ずること、考えることの一切はこの末那識に基づいているというのですから、私達は末那識の奴隷状態にあるのです。

 このように末那識は強烈な自己保存の欲望であり、それがすべての苦悩の源であり、この末那識に翻弄されているのです。

 さらにその下に自我に執着するマナ識よりいっそう深いところにある深層意識が「阿頼耶識」(あらやしき)です。

 阿頼耶(あらや)は、10のマイナス22乗(100垓分の1)であることを示す漢字文化圏における数の単位である。と説明があるように・・・。

 仏教用語としての阿頼耶は、阿頼耶識のことです。

  「阿頼耶」とは、サンスクリット(梵語)で「蔵」という意味で、地球上に生命が誕生したと言われる30億年にものぼる過去を記憶しているのは阿頼耶識であり、さらに、阿頼耶識はあらゆる行為を種子(しゅうじ)として溜めこむだけではなく、目の前の現実を生み出す源であると考えられています。

 これは、まさしくDNAのことであり、DNAの中には、30億もの遺伝の情報が格納されていて、30億年以上の生命の情報も記憶されているのです。

 遺伝子情報の解読は、つい最近の現代のことですが、「阿頼耶識」の概念は、はるかに2000年も昔のことになります。

 ミクロの命数もそうですが、「阿頼耶識」の概念も、現代の最先端の科学がやっとたどり着いた知識なのに、仏教の哲学にはすでに存在していたのです。

 阿頼耶識のレベルでは、すべての生命はつながっており、一体であるという意識になってきます。この領域があるので、遠隔ヒーリングも可能になるのです。
 
 次に、阿摩羅(あまら)は、10のマイナス23乗(1000垓分の1)であることを示す漢字文化圏における数の単位である。

 仏教用語としての阿摩羅は、阿摩羅識のことです。

 阿摩羅とはサンスクリットで「汚れのない」という意味で、阿摩羅識は「根本清浄識」と漢訳されています。

 生命の最も奥底には、この第九識があり、この根源の清浄な生命のはたらきを開き顕すことによって、生命を根底から変革できるとしています。

 ですから、この領域へ至ることは非常に大切になるのです。第九識のエネルギーが、八識も七識も浄化してくれるのです。

 ミクロの命数 の中には七識はありませんが、私達の八識も七識も浄化するためにミクロの命数があるのかも知れません。

 空海の教えの根本教典に『秘密曼荼羅十住心論』があります。これは、密教における意識の階梯を説いたもので、パワーかフォースかの意識のマップとも類似しているのです。

 その中で、阿頼耶識については、絶えず空の存在として変化してやまない心の働きとして、三世に存続するとしています。

 さらに空海は、第九住心極無自性心として華厳経で説く「多即一」、「一即多」の教えを説いています。

 これは、私たち、一人ひとりの心は他の無限の生命の心と融通無碍に関係しあっているというのですから、阿頼耶識の説明と一致しております。

 最後の第十住心が大日如来と一体となった境地であり、第九識の阿摩羅識(アマラ識、根本浄識)の働きが生命に顕現した境地を言っているのです。

 空海の教えからも、「阿頼耶識」の中に入ることができれば、過去・現在・未来と三世に渡って浄化することが可能となり、能望の実践で、十世代に渡っての浄化も可能になると確信が持てます。

 またまた長くなり、意味不明になましたが、この続きは次回にします。

 ありがとうございました。
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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
バックナンバーはこちらからご覧下さい。
http://archives.mag2.com/0000115502/index.html?l=bvo0f0393f

ありがとうございました。
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