妄想さえ捨ててしまったら多くの怒りは消えてなくなります。

 インターネットのニュースに興味深い文章があったので、紹介します。

 歳をとれば、心は丸くなる。と言われていますが、不必要に怒っても、ろくなことにはならないという経験から来る知恵のようにも思います。

 その反対に、怒りっぽくなる人もおりますが、自分の短気や頑固に気づき、老害にならないように、自覚を持つことも周りに迷惑をかけないことになると思います。

 心を無限小に静めるのも、心を素粒子の高次元に静めるのも、仏教の英知ですから、この英知に気づくきっかけになれば、喜ばしい限りです。

 それでは、長い文章ですが、参考にしてください。
~~~~~
◎「怒りを自ら作り出す人」の残念な思考回路

東洋経済オンライン 3/8(水) 8:00配信

人間関係、仕事、家族、日常生活……あらゆる場面で「怒り」を感じることがあります。怒りのせいで「また失敗した」と感じることも。

怒りを外にぶつけて、苦い思いを繰り返すか、ぐっとのみ込んで、時間が経つのをひたすら待つか。いずれも、苦しい状態です。

怒りから、もっと自由に、ラクになれる方法はないものか──“人生の達人”ブッダに聞いてみると、意外な「怒らない方法」が返ってきます。

「人生を快適にする合理的な方法」として仏教を説く、独立派の出家僧・草薙龍瞬氏(著書に『反応しない練習』がある)が、ブッダ流「怒りの消し方」を紹介します。 

 「怒り」は、誰にとっても切実なテーマです。その最大の理由は、人間関係に支障を来すこと。自分にとって、ストレス・苦しみになることです。

 だから「怒らないようにしよう」と考えるわけですが、現実には「つい怒ってしまった」「やってしまった」ということばかり……。

 「怒ってはいけない」と頭ではわかっているのに、なぜ怒ってしまうのでしょうか。

 仏教流に考えれば、それは「怒りの正体が見えていない」からです──。

・怒りのほとんどは、理由がない

 怒りは “心の反応”のひとつ。不快な反応です。その理由は、世間ではさまざまだと思われていますが、仏教的には、実は2種類しかありません。

 ひとつは「物理的な刺激」によるもの。たとえば、危険な目に遭ったり、体に触られたりしたときの不快感──これは、生き物に共通する最も原始的な怒りです。

 これ以外の怒りは、1種類だけです。つまり「精神的な刺激」による怒りです。

 ・心が刺激されてしまう理由を突き止める!・

 たとえば、嫌いな相手の振る舞いや、思いどおりに進まない現実への怒り、いつ始まったのか自分もわからない慢性的なイライラなど──これらはすべて、肉体ではなく、心が刺激を受けて生まれた反応です。

 しかし、不思議な現象だと思いませんか? なぜ物理的な接触がないのに、心が刺激を感じて怒ってしまうのでしょうか? 

 心が刺激されてしまう理由──そこを突き止めることが、「怒らない方法」の決定的なポイントになります。

 ・初公開・怒りを克服する3つの対策

 ブッダの知恵を生かせば、怒りのタイプは3つです。そのタイプごとに「怒らない方法」を、まとめてみましょう。

  《その1 貪欲タイプの怒り》

 ひとつは、「貪欲」つまり “欲求過剰”(求めすぎ)な精神状態からくる怒りです。

 たとえば「もっと高く評価されたい」「もっと業績を上げたい」「もっと早く、もっと高いスコアで試験に受かりたい」といった願望です。

 人間関係で「あの人とは話が合わない」「わかりあえない」という不満・ストレスも、意外かもしれませんが、貪欲タイプの怒りだったりします。

 つまり、相手に「わかってほしい」「こうあってほしい」「味方でいてほしい」という過剰な期待や要求が、そうはならない現状に「怒り」をつくり出しているのです。

 <対策>

 こうした求めすぎタイプの怒りは、「私が求めすぎているんだな(欲求過剰なんだな)」と客観的に理解することが、コツになります。

 というのも、求めすぎている精神状態では、何も変わらないからです。他人は、自分以上に変わりにくい(期待できない)相手なので、そのままでは、不満も、相手との衝突も、続いてしまいます。

 そこで、求めすぎている状態に気づいて、「考え方を切り替えよう」と考えます。「自分に今できることは何だろうか?」と、自分に聞いてみるのです。

 体を動かす作業。自分の役割。自分にとって有意義で、楽しいこと。できることは、意外とたくさんあります。自分の持ち分・領域のほうに心を向けることを基本とするのです。

 こうした心掛けを、仏教の世界では「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」と表現します。反応するより、自分の足元をよく見よう、という意味です。

  ・過去の怒りをエネルギーにして…!・

  《その2 怒りタイプの怒り》

 ふたつ目は、「怒り」がつくる怒りです。奇妙な言い方ですが、「すでにある怒りが、あらたな怒りをつくり出している」状態です。

 たとえば、過去にイヤなことがあって、怒りが残っていたとします。すると、心は、持続する(執着する)性質を持っているので、その怒りで別のことに反応しようとします。

 その刺激となるのが、「不快な過去の記憶」や「他人の欠点」や、「これは許せない」と思える世間の話題です。これらに反応して、新たな怒りをつくり出すのです。

 これは、いわば「怒りの自家発電」。過去の怒りをエネルギーにして、新たな怒りを生んでいる状態です。

 「怒りっぽい人」というのは、その一例です。理性では「怒ってはいけない」と思いつつ、心に残っている「怒り」でつい反応してしまうのです。

 ・怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返す

  <対策>

 この怒りにも「心の理解」から入ります。「過去の怒りが残っている。でも今は関係ない」と、はっきり自覚するのです。

 心にくすぶっている怒りは、今とはなんの関係もありません。心にとどまっている「感情の残りかす」みたいなものです。

 だから、「この残りかすの怒りだけ、解消すればいいんだな」と考えましょう。

 そのうえで楽しいこと、たとえばスポーツとか、食事とか、気の合う友だちと飲みに行くことなどに時間を使って、「怒りのお掃除」に努めます。

 このタイプの怒りで大事なのは、後で「思い出さない」ことです。過去の怒りは、過去のもの。思い出すだけ、自分がソンです。

 そこで、「過去の怒りを、今怒る理由にはしない。忘れていい怒りなのだ」

 と、言葉にして(念じて)みましょう。なかなか消えない怒りもありますが、そうした怒りがぶり返すごとに、正しい言葉で切って返すのです。

  《その3 妄想タイプの怒り》

 もうひとつが、「妄想」が生み出す怒りです。妄想とは、現実に存在しない、頭の中にしかない思いのこと。この妄想が実に厄介、しかもバラエティに富んでいます。

 たとえば、イヤな過去を思い出して、怒りを再発させる。これは、先ほどの「怒りタイプの怒り」ですが、最初の怒りを長引かせてしまうことに力を貸しているのが、「記憶」という名の妄想です。

 また、人がよくやる良しあしの「判断」──つまり「自分は正しい。相手が間違っている」という思いや、他人と比較したり、優劣・勝ち負けにこだわったりという心理も、妄想にあたります。

 さらには、怒らなくてもいい(怒ってもしようがない)ひとごと、たとえば世間をにぎわす事件や話題に、「まったく!」と1人で憤慨している状態も、妄想して怒っている状態です。

  ・ 事実と妄想は違う!・

 つまり、過去も、判断も、ひとごとも、心の状態としてみるなら「妄想」です。これにとらわれると、暗い怒りが募っていきます。

 「小さなことに腹が立つ」「なぜかいつもイライラしている」「最近楽しくない」と悩んでいる人は、大勢います。

 こうした怒りの根っこにあるのは、妄想なのです。

  <対策>

 妄想への対策は、仏教の世界にはたくさんあります。今回は、なかでも決定的に大事な心掛けを、ひとつ紹介しましょう。

 それは、「事実と妄想は違う」という理解です。これはシンプルですが、革命的な力をもった理解です。

 事実とは、妄想の外にあるもの。いわば、脳の外・自分の外に客観的にあるものです。

 今目の前にあるもの──その相手や、家族や同僚や、モノや、職場は、自分の妄想以外のところに存在している事実です。

 これに対して、頭の中で、言葉で考え、映像で見るものは、妄想です。

 この妄想が消えると、どうなるでしょうか? すると、妄想が作り出す怒りも、消えてしまいます。

 たとえば、人間関係で考えてみます。相手がこちらに視線を向けてきた、イヤミを言ってきた、非難・中傷をぶつけてきた、としましょう。

 ここで反応すると、瞬時に妄想にのまれます。つまり記憶に刻んで、思い出して、相手を裁いて、攻撃して、という精神状態に陥ります。これが、妄想が作り出す怒りです。

 では「事実確認にとどめて、決して妄想しない」という態度なら、どうなるでしょうか。求めないし、思い出さないし、判断もしない、としたら? 

 そのときは、「相手の言っていることは、理解できます(でも反応しません)」という態度に変わります。

 もちろんなかなか難しいことです。でも、妄想さえ捨ててしまったら、多くの怒りは消えてなくなります。そのことは、理解してもらえるのではないでしょうか。

 ・ブッダは妄想ではなく理解で返した

 興味深い例として、『原始仏典』という古い仏教書のエピソードを紹介しましょう。

 ある日ブッダは、嫉妬に駆られたバラモンに、さんざん悪口をぶつけられるという災難に遭遇しました。周りの人は青ざめたり、激高したりと、騒然となりました。

 でも、このときブッダが返したのは、意外な言葉でした。

 「あなたがふるまったごちそうを客人が食べなかったら、その食事は、あなたのものになるだろう」と語り、こう続けたのです。

 「私は、あなたが差し出す食事(つまり怒りの言葉)を受け取らない。だからそのまま持って帰るがよい」

 ・ 妄想する材料は、いくらでもあるため…!・

 平たくいうと、「あなたが食べるのは、あなたの自由だけど、私は食べません(反応しません)よ」というのです。実に合理的で明快な返し方だと思いませんか。

 確かに、外の世界も、他人も、いろんなことを言ってくるし、よからぬ考えを向けてきます。でも、それに反応したら、自分の中に苦しみが生まれます。

 その苦しみを長引かせるのが、妄想です。ひとの心には、記憶や、良しあしの判断、先行きへの不安や心配、社会にあふれる情報や話題など、妄想する材料は、いくらでもあります。

 しかし、そのままなら、怒りは、いつまでも続くことでしょう。

 だからブッダに学んで、「怒りをつくっている妄想に気をつける」のです。

 そこで、こんな心構えで日常を過ごしてみましょう。難しいけれど、練習です──。

 ・外の世界・相手に、妄想から入らない。「期待」や「判断」に走らない

 ・そうした自身の思いに、「これは妄想」と、まずは気づく

 ・不愉快な相手には、「あなたにとっては、そうなのですね(理解はできます)」という立場に立つ

 妄想せずに、理解から入るように練習するのです。相手に対しても、どんなときもです。

 ・「いざというときの考え方」を知っておくほど得をする

 「でも、そんなこと口に出したら、余計に怒られます」と言う人がいます。それはそうです(笑)。心の中でやってください。

 また、期待も、求める心も、妄想も、決してマイナスだけではありません。やる気につながったり、仕事や人間関係に改善をもたらしたりと、プラスに働くこともあります。

 ただ確実に必要といえるのは、問題が起きたときの「心の使い方」なのです。その点で、2500年の蓄積をもつブッダの知恵を、生かさない手はありません。

 怒りをつくっている本当の原因に気づいて、正しい心の使い方に戻ること。

 こうした心掛けで暮らしていけば、小さな怒りを引きずることは減っていきます。やってソンはありません。

 練習次第で、心は変えられます。幸福、充実、軽快、満足という、もっと大切な心に向かって、いざ、精進! 

 草薙 龍瞬
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 ありがとうございました。
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『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。
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http://archives.mag2.com/0000115502/index.html?l=bvo0f0393f

ありがとうございました。

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